MELIAMANNA メリアマナ

MELIAMANNAという「衣食住への植物利用」がテーマのサイトを運営しています。 Fukuoka, Japan. https://meliamanna.com

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最近の記事

和する (2024年11月の日記)

秋がやってくるのを見計らい、仲間の方も合わせて計4人、福岡の霊峰である宝満山の登頂を目指した。 俺個人的にはここ最近、日程的な隙や目指す山頂を直前に見つけて出かけるスタイルの登山しかしていなかったので、計画を立てて誰かと一緒に山を歩くのはこの日が随分と久しぶりのことだった。 和気藹々と飛び交う言葉たちが林内にこだまする感覚が「やっぱめっちゃ好きやなー」って思ったり、ペースメーカーが間違った道を拾った時は後ろから声を掛け合ったり、誰かがしんどそうな時な他の皆でモチベーション

    • 秋の植え替え祭り(2024年10月の日記)

      春分そして寒露が過ぎ去った10月の上旬。「お前いつまで居残りしとると?」って問い掛けたくなるぐらいの夏の暑さはやっと消え去って、そのことを察したベランダや部屋に所狭しと並べられた植物たちは、酷暑を耐え抜こうとじっと耐えていた先月までの姿からは一転、また元気に成長を始めた。次は寒さで身動きが取れなくなる時期がやってくるから、それまでがんばって動いとかないとね。植物も、人間も。 で、植物が成長のために動き始めたということは、植え替え祭りが到来したということ。自分は基本的に、盆栽

      • ブレーキの踏み方 (2024年9月の日記)

        つい何年か前まで、数ヶ月おきに頭の中がショートしては回復し、またショートしては回復し、という落ち着かない日常を繰り返していた。その理由を考えてみると、恐らくそれは目の前に数多横たわっている情報との上手な付き合い方を心得ていなかったからで。 多趣味かつ、興味を持った全ての物事の解像度を高めていかなければ満足いかない人間の宿命かもしれないけれど、デスクの上に多方面なジャンルの書籍が積み上がり、またパソコンのブラウザには読みたい記事が山ほどストックされているのは日常で、これらを咀

        • 手カレー (2024年8月の日記)

          ある夏の午前、洗濯物を干しにベランダへ出るとそれはそれは突き抜けるような快晴で、カレーを食べたくなった。いつからか、カレーと快晴は切っても切れぬ関係になっている。昼頃になってやっとドミのベッドから抜け出して、道中でペットボトルの水を買って、ガート沿いを散歩して、真正面から突き刺さる太陽光と目眩のしそうな熱気に揉みくちゃにされながらカレーを食べる。カレーといってもそれはダールであったりコルマであったり。そのあとに美味いラッシーをキメてベッドに戻り、24時間の旅路につく。最も無意

          文字を読むということ (2024年7月の日記)

          言葉や文字を介したやり取りなんか非効率的で、回りくどい行為だと感じる。言葉や文字による意思疎通よりも、イメージ的なやり取りの方が得意だと感じる。心を打ち明けた人間に対しては、目線を合わせた時にふたりを行き交う何かが全てだと感じる。 俺はこんな人間だけどもやっぱり文字を読むことは大好きだから、この何とも相反しそうな2つの行為を両立させる必要がある。ということで特に小説を愉しむ際には、右脳をフル回転させ、茶色く煤けた紙に打ち付けられた一言一句を映像化し、できるものならその映像に

          文字を読むということ (2024年7月の日記)

          大好きな場所がまたひとつ (2024年6月の日記)

          大阪は「咲くやこの花館」へ。初めて行ったこの植物園、すごくお気に入りの場所になった。 久しぶりに出会ったガジュマルの大木や、バンダ・カトレアなどといったド派手な蘭、足元で所狭しとひしめき合っているアロカシアやカラテアは、あの時感じた亜熱帯の衝動を想い出させた。やっぱり俺の居場所は亜熱帯なんだろうか??? そして何と言ってもここの展示。「熱帯花木室」「乾燥地植物室」「高山植物室」とかいう風に大きくエリア分けしてあったんだけど、例えば「乾燥地植物室」なら、マダガスカル・アフリ

          大好きな場所がまたひとつ (2024年6月の日記)

          緑に甘えて (2024年5月の日記)

          烏の目線で地上を見下ろした時 断崖絶壁で花を咲かせるツツジに心打たれた時 山頂から雲立ち込める山々を眺めた時 酸味の少なそうな野苺を求めて藪を掻き分けた時 変な葉っぱの植物を見つけてこれは何だろうかと笑いあった時 ハエ媒の花に鼻を突っ込んで激臭に悶えた時 そこら辺の木の棒を握りしめて筍を掘り返した時 熟女のようなスコッチを片手に共振した時 俺はもっともっと、緑に甘えながら生きていたいと思った。 そのためにはもっともっと、理解を深めていくことが必要だと思った。

          緑に甘えて (2024年5月の日記)

          割れた茶壺 (2024年4月の日記)

          あれは高校生ぐらいの時だっけ。 結婚式の引出物かなにかで我が家に舞い込んできた MARIAGE FRERES の MARCO POLO に脳天かち割られるほどの衝撃を受けてからというもの、お茶にハマり続けている。 丁寧に紅茶を淹れてそれを舌に触れさせた瞬間、朧げな印象派の絵画のような、しかしオリエンタル調でどぎつい彩色のイメージが脳裏に浮かんだあの時を皮切りに、紅茶のジャケ買いを重ねながら自分の嗜好の方向性を探っていったり、時には緑茶・ハーブティー・プーアール茶・ルイボスティ

          割れた茶壺 (2024年4月の日記)

          towering walls (2024年3月の日記)

          園芸や農業、さらには民族植物学チックな植物利用などをひっくるめて、植物に関することは生涯をかけて勉強しようと決心しているわけだけど、これの他にも一生学び続けようと思っている分野があって。 そのことについては、まだまだ公の場でアウトプットできるようなレベルになんて全くもって達していないんだけど、高校生ぐらいの頃から、自分自身でさえも興味がふつふつと膨らんでいく過程をはっきりと認識できないまま、けどいつの間にかギラギラとしたものが胸の内にあって、本を買っては学び、ネット上で場所を

          towering walls (2024年3月の日記)

          灯火 (2024年2月の日記)

          あと数日で、待ちに待った立春がやってくる。 今年度はいくら暖冬といえども、数年間南国の生ぬるい空気に浸りながら暮らした代償はとても大きくて、ちゃんと寒かった。 ちゃんと。 立春が来ても、もう少し寒い日は続いていくだろうけど、もうこれ以上寒くならないよ、って約束されることは、寒くて薄暗い部屋の中に小さな灯火が灯されたような感覚をもたらす。 そして旧暦でいうと、2月10日にはお正月がやってくる。 中国みたいに爆竹を大量に打ち鳴らす!!! 訳にはいかないけれど、最近はようやく月の動

          灯火 (2024年2月の日記)

          スクリーンと映写機 (2024年1月の日記)

          小さい頃から本の虫だった俺は、これまでにおそらく数百人もの著者に出会ってきたわけで、自分の部屋に置いてあるささやかな本棚なんて、とうの昔からパンクしている。 パンクして、溢れてしまった沢山の本は、本棚の上や押入れの中、そして床にまで、小綺麗に散乱している。 部屋の中を見渡すたびに、でかい壁一面の本棚欲しいな、と思う。 こんな状態だから、もし火事が起きたり、ミサイルが飛んできて避難しなければならなくなった時、持っている本の全てを抱え込んで逃げることはできない。 「死因:家中の書

          スクリーンと映写機 (2024年1月の日記)

          祝杯をあげよう (2023年12月の日記)

          例年に比べて、今年は小説に積極的に手が伸びない年だった。 理由は色々思いつくけど、ここではなんとなく濁してみる。 で、そんな年の師走にもなって、今年最高の小説に出くわしてしまった。 お風呂に入って温かくなっていたはずの指先が、夜更けの冷気にさらされて芯から凍えていくことや、翌朝、目の下にできてしまう大きなクマが全くもって気にならないほどの、最高で壮絶な読書体験だった。 それは『香水 ある人殺しの物語』という小説で、PARCOでやってたBook Park Clubというイベント

          祝杯をあげよう (2023年12月の日記)

          涼しさは後ろから背中を押してくれる (2023年11月の日記)

          自然の中にぐっと足を踏み入れると、木々の彩りに心が躍る季節になってきた。 そのせいか、ここ1ヶ月は近所の山に何度も登ってみたり、友達が住む熊本までドライブして行って阿蘇を案内してもらったりと、より積極的に外の世界へ踏み出していこうと思えることができた。 涼しさって、大事。 登山をするときはいつも、登山口から頂上まで登って引き返す、みたいなスケジュールでは山をゆっくりと楽しめたような気がしないから、途中でできるだけ谷の川辺まで降りて行って、ネイチャーストーブを組み立て、乾燥し

          涼しさは後ろから背中を押してくれる (2023年11月の日記)

          I got a little bit ennui feeling. (2023年10月の日記)

          彼岸の入り・秋分の日を経た9月の末でさえも、突き刺すような日差しが肌を刺激してくるな、と思いながら暑苦しい日々を過ごしていたけれど、10月に突入した途端に、あれだけ存在感を誇示していた夏の姿は山陰かどこかへと隠れてしまった。 そしてこんな風に涼しくなったタイミングでは毎年、アンニュイな感情が心の底から顔を覗かせる。 この感情を仲の良い人に話してみては、共感されたり、たまにされなかったりして、この季節を通過する。 このアンニュイな感情の正体は何なのだろう? これから立冬→冬至へ

          I got a little bit ennui feeling. (2023年10月の日記)