群衆哀歌 01
【一】
薄暗い灯りの中、声を必死で押し殺した。愛撫の指が全身を這い回る。もう止めてくれ、の声すら出せない。快感など皆無。不快感のみが全身を支配する。薄汚いナニかが徐々に侵入してくる。悶えるが、抑えつけられた身体は反抗を許されない。求めてもいない、穢らわしいくちづけを交わされる。愛無き愛を押し付けられる。一連の行為を終えた後、不快感を全て捨て去りたくて、ただひたすらに嘔吐した。
【二】
「激論・若人は何を思い今を生きる?」
画面いっぱいに映ったテロップに目を向けた。時刻は午前九時四十五分。講義は午後からで時間を持て余している。どれ見てやるか、とタレントの男と専門家らしき人物が始める議論に耳を傾けることにした。
ネットニュースで見た、女子高生が深夜学校に忍び込み、屋上から飛び降りて命を絶った痛ましい出来事がこの議論の発端だった。屋上には綺麗に揃えた靴と、一言「ありがとうございました。」と書かれた遺書があったそうだ。記事を読んだ時は謎多き自死にクエスチョンが脳内を駆け巡ったが、電車を降りるタイミングと重なったため、その時限りですぐに忘れてしまっていた。
そんな事件あったなぁ、と紙煙草に火を点け、深く吸い込みながら話に耳を傾ける。
「先程報道でもありました通り、若者が自ら命を絶ってしまう事件がありました。この事件に限らず、最近の若者の自殺は社会問題化と言っても過言ではないくらいに増え続けています。これについてどう思われますか?」
若いニュースキャスターの男が言う。タレントの男が先に口を開いた。
「今時の若い子は打たれ弱いですからねぇ。全く可哀想に。」
専門家らしき男が続く。
「いやぁ全く。私達の世代では頬を殴られるなんて当たり前でしたからね。これもまた、時代の変化でしょうか。」
「その通りでしょうね。いつしか教員は殴ることを禁じられ、威圧することを禁じられ、そして言葉で諭して導くスタイルへと変化してゆきました。もちろん、子どもは肉体的な苦痛を感じることはとても少なくなりました。それは良いことなのでしょうがね。」
「その傍ら、徐々に子ども達の心が弱くなっていることもまた事実ではないでしょうか。殴られず、怒鳴られず、大人しい言葉で教育されていった弊害か、壁と向き合った時にそれを乗り越える力を得られず、その壁を避けて別の道を選ぶか、壁の前で命を絶つかの選択肢しかなかったのでしょうか。」
煙を吐きながら、高校までの学校生活を思い返す。素行は悪い方ではなかったが優等生と言えるほどでもなく、何度か大声で怒鳴られたことがあった。肩をどつかれたこともあったが、拳骨や蹴りを貰ったことはなかった。自分もなんだかんだ微温湯にどっぷり浸かって過ごしてきたわけか。
過去を振り返っていると、ふと口の中に苦いような、塩辛いような形容し難い不快感を覚え、現在に意識を戻した。いつの間にやら紙煙草の火種はすっかり葉を焼き尽くし、フィルターを燃やそうとしていた。深い溜息とともに燃えかけたフィルターを灰皿に押し付け、新しい紙煙草を取り出して火を付ける。
煙を味わいながら、ニュースの続きに意識を向ける。
「自殺するエネルギーがあるなら、それを生きる方向に向ければ何でも出来るのに。私も昔芸能界で行き詰って、もう死ぬか、って思ったことがありますけれど、死んだら何もかも終わって今までの努力が無駄になる、って思って文字通り死ぬ気でやってきましたよ。その結果が今こうして番組持たせてもらって、成功と言える場所まで来られました。」
軽い苛立ちが心に芽生え始めた。「自殺」という重い単語について考えを巡らせてみる。今までに「死のうかな」と思わないことはないでもなかったが、結局その選択肢を取らなかった。人並みに苦労はしてきた。今ここで煙草をふかしているのは、「死なない」という選択肢をとり続けてきたからである。命を絶ったこの女子高校生のそこに至るまでの出来事、背景について詳しくは知らない。苦悩の末に選んだ道だろうし、それを味わっていない以上、当然だがどうして死んでしまったか知る由もない。終わらせたくなる気持ちは分かるような気もするが、完全なる理解は自分には不可能である。
煙草を吸い終えて時計に目をやると、出発すべき時間が追いついてきていた。
「やはりどんな理由があれ、命を絶ってしまうことは良くない。追いつめられる前に何か手を……」
芽生えた苛立ちはさらに育ち始めた。舌打ちを鳴らしてテレビを消して家を出た。「命を絶ってしまうことは良くない」という言葉だけが、妙に頭の中にこびりついていた。
Next…
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