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「防衛線」

 久々に、感情が緩やかに落ちてゆく感覚を覚えた。
 ここ数日、いや2週間程は平和に過ごせていた。青い鳥にこんな囀り残してるくらい。

 きっかけは、自分の軽率な振る舞いにあった。寧ろ直接恩師から「気をつけなさい」と御指導を頂けて有難かった。自分からばら蒔いた不安の種が、漠然と靄の中で形を整えて、自分の前に漆黒の華が咲いた様な。

 観察眼は人並みかそれ以上にあると思っている。だからこそこの病と付き合う事となったのだが、大人も子どもも共通して異性の方が態度としては分かりやすく、尚且つ本質を掴みにくいと感じている。態度には出すけど、本音言わないみたいな。そこは野郎の方が楽だなぁってしみじみ思う。
 この仕事をしていたら尚更、その観察眼もとい目敏い地獄眼と耳聡い地獄耳は貴重なスキルであり、知らぬ間に身についていて良かった。それは時に身を削り、心を削ぐが、それ故に得られる情報も多い。薄々気付いていたお陰で、今日は感情が急降下せずに済んだのだろう。

 私は、防衛線を2本引いている。

 ひとつは、頓服薬の抗鬱剤。10分少々で効き目が出始める(らしい)。前回飲んだ時は急降下した後で、時既に遅し。みたいな感じだったが、今日は緩やかな落ち方だったので、落ち切らずに眠ってしまうことで乗り越えられた。
 頻繁に飲むものではない。本能的に(ヤバい気がする)という時に手を伸ばす。10月末の過ちから、早めに対処しなければならないことは自覚している。だから今日は筋トレ等のルーティーンから離れ、自暴自棄を起こさず安らかな「睡眠」という選択が出来た。同じ轍は踏まないよ。

 布団に潜り込んだ時から(風呂に浸かろう)と決めていた。そして現に風呂に浸かってアヒルさんと戯れながらこの文章を残している。入浴執筆は恒例となってきたが、感情の乱高下が激しい私にとって、この記録は重要である。

たのしい。(27歳・男性)

 もうひとつの防衛線は、最終防衛ラインというべき極限手段だが、再発して動けなくなっても90日は給料が保証される制度。鬱病と発覚した時にはかなり症状が進んでいたらしく、復帰まで半年を要し、3ヶ月分の給料とボーナスが大きく削られて生き延びるのに精一杯だった。
 まぁ療養してるのに金貰えるんだから贅沢言うなと言われれば返す言葉は無い。けれど地元を飛び出し第2の地元と思える土地に根を張って住み着いている以上、この家を失えば自ずと職も失う。
 感情が制御を失いどうしようもなくなる前に、90日以内に回復出来るタイミングで舵を切らなければならない。やんわりと矯正しているが、この性格上その決断にはかなりの勇気が要る。見定めなければねぇ。

 最初に診断された病名は【適応障害】であり、それはある意味では最もしっくりくる病名である。私生活は何ら問題なくなっており、専ら職務に関する部分で落ちることしか無くなってきているからだ。兄貴は呪われているようだが、私を気にかけて発症している部分は全て切り捨てていいでっせ。プライベートで気に病んでる部分は全くありませぬ。寧ろ気に病まれた方がこっちも気に病みます←

 今日の一曲はムック「未完の絵画」。眠りから覚めて、真っ先に聴きたくなった曲だった。私の人生は未だ未完である。当然と言えば当然だが、去年担任した教え子を送り出せていないし、群衆哀歌も完成していない。もっと歌いたいし、朋輩の狂喜乱舞もまだ見せてもらっていない。
 この場所を共にし始めた朋輩よ、週末にでも叫びに行かないかい?兄貴よ、妹を祝ってやってはくれないかい?息を引き取る前に、やりたいと思うことがひとつでもある限り、脈を止めず精一杯息をしていきたいな。
 そう考えているうちに、「前へ」が流れてきた。そうだね、世界は沢山の光に満ちている。次に咲く華は、黒くても美しい、綺麗な花瓶が似合う華だといいな。

泣き叫ぶことしかできなくなって
僕は心に何を描き生きればいい?
壊れて消えたツバサと思い出と
果たすことのできなかった永遠の約束を
忘れられない僕は一人
未完の絵画に色を付けようと
ちぎれた破片拾い集めて
かなわない夢を食らい続けるだけ

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