詩人の生活、脱・丁寧な暮らし
丁寧な暮らしを特別心がけていたつもりはないが、朝食にホットケーキやヨーグルトの出てくる家庭で育った私は、そこそこ丁寧に暮らしていたのではないかと思う。幼少期――小学4年生くらいの頃は朝4時には起床し、本を2冊ほど読み終えてから朝食の準備(パンを焼いて、両親の飲む珈琲用の湯を沸かしてなど)をしてから学校に行っていた。これはきっと丁寧な暮らしだった。
それが今ではどうだろう。週3日ほどシーシャ屋に出かけるほか基本的に家から出ず、仕事がないばかりに昼過ぎにゆるゆると目を覚ます。布団に入り30分経っても眠れなければ飲むといいと言われた睡眠薬も、その日の晩を手放すのが惜しくて、錠数が減るのが怖くて進んで手を出さずにいる。「第2次モラトリアム期間」と呼んでいるこの時間は、人と会う約束をするか、目星をつけていた展示の会期終了が迫らない限り、私はひとり部屋で反省会をし続けている。
冷静になると赦せない人も、謝りたい人もたくさんいた。なんとか時間の薬が効いて謝る機会を得ても、それでももうあの日々は取り戻せないと知ったとき、己の傲慢さ、当時の怠慢さが身に染みる。久々に会った友人の中に、私の性格の悪さが自分とおなじだと感じられて好きだ、と言ってくれる人がいてほんの少し安心した。そんなことないよ、という人はたぶん私の外殻しか視えていないから。
家に居て、することもない(厳密に言うと活動らしい活動が何もできない)と、外で働いて帰ってくる人のために簡単な片付けだけでもやろうかという気になり、食器洗い機を回しながらエナジードリンクを飲み、今この文章を書いている。麦茶のボトルのストックが切れたため、ボトルを洗って、ブリタの浄水器に水道水を流し込み、水出しの麦茶パックを放って冷蔵庫にしまう。そういえば私は両親ともに頭から麦茶ないしは水をかけられたなあ、とふと思い出し、幼少期の方の記憶は本当に私が覚えていることなのか、それとも後から母に言われて造り出した記憶なのかがわからなくなって、たまに記憶のなかで迷子になってしまう。わざわざ水道水を浄水器に移し替えている人間が、冷水を娘の頭頂部から注ぐ——その意味が未だに分からないけれど、本人も「あの時はごめんー」と笑いながら言うもんだから、きっと大したことではないのだろう。私はボトルの取っ手を持つ度に思い出すけれど。
アルコールもニコチンも摂取するが、フェイシャルエステやたまにジムに行ったりする。一見一貫性がなく美意識からは外れた行動なのだが、私は自分を延命するために今この選択をしていて、これらすべては繋がっているのだろう。ある友人は梅が枝餅に救われているみたいだった。心が折れかけた時に食べたら、ともに遊びに行ったときのあの味がして、前を向くまでいかなくても、足を踏ん張れたみたいだった。
今の私の生活は誰の役にも立てていないし、人生に於いて存在してよかったのか定かでないが、いつか歩みを進めるときに必要な武器を揃えるためのインプット期間であることは間違いない。何を大切にしたいのか、そう考えた上で私は選択をしよう、詩人・蓼原 憂に「#丁寧な暮らし」は必要ないということを。