《まとメモ》良作選(2018年10月~2019年3月)

ネットの世界では誰しもが"大海の中の蛙"
標高が低すぎればお山の大将とて居心地が悪い。
体ではなく心を張って笑いを取るのが自虐ネタ。
いい店はお通しが旨い。勝負はいつだって出会い頭。
不幸自慢は面と向かってされても画面に向かってされても困る。
世は自撮りと自分語りの時代。"我が物顔で我が事語り"
自分で作品を語るな。
作品に自分を語らせろ。
都会では生活サイクルがなくなりがち。生活感がない方が洗練されてるように見える不思議。
手の届く身の回りにあるものを使って、自分だけの世界観を作るという作業。突き詰めると、共通するのは日常生活への敬意。
居場所がないと言う人が探しているのは居場所でなく休憩所。居場所とは生き場所であり、息を吸い、吐く、ちょうど今立っている足元。そう思えるかどうかはただの思い込み。
法律に触れたら司法機関が処罰、
倫理に触れたら一般大衆が処罰。
コブシの暴力は肉体の破壊、
コトバの暴力は人格の否定。
SNSは悪口と陰口の捌け口。
"発信"のツールであると同時に"発散"のツール。

子供じゃないんだからむやみに反抗して噛みつくな。
大人なら噛みくだいて呑み込んで、消化してから"反論"にまで昇華させろ。

電脳空間でみしらぬ他人に厳しくするより
現実世界でみじかな存在に優しく。
説かない。語らない。論じない。
メモとはシサである。

どれだけもっともなメモを書いたところでそれは正"論"未満。
"理論正然"としすぎていると人は受け付けない。

メモは最小限のメディアでありアイディア。メディアイディア。
無知は時として武器。
ムチは時とわず武器。
前衛芸術とB級グルメは紙一重。
前A芸術とB級グルメは紙一重。
大衆に迎合しない術を託す芸術。
大衆に迎合して人気を博すエンターテインメント。
「自己流」もつらなれば"流儀"。
「生き方」もつらぬけば"生き様"。
理想を謳っていればいい評論家。
現実と闘っていればこそ実践者。
自信に根拠がない人は他人に認められたくて焦り、
自信に根拠がある人は自分で認められるから焦らない。
腹が出てると25歳未満の競技者からは憐れみを向けられ、
腹が出てると30歳以上の競技者からは親しみを覚えられる。
自分がサボりすぎていることは否定しないが、
日本が労働しすぎていることは肯定したい。
世界はグローブと呼ばれるが、
世界はグルーヴでできている。
グローバルな話ではなく、グルーヴィーの話。
カフェでおスまししながら聴いてると、
パーカー姿がハずかしくなる大橋トリオ
パーカー姿がホコらしくなる奥田タミオ
一般女性を素人としたとき、
接待飲食店に従事している夜の蝶はプロ。
性風俗産業で奉仕している女の子もプロ。
芸能事務所に所属しているモデルもプロ。
メイドカフェ店員と出会い系のサクラと読者モデルはセミプロ。
男女関係における「こう来たらこう、ああ来たらそう」というライフハックは"処性術"。
あからさまにこの後セックスするだろうなと思わせる男女の匂いは第三者にも感じられ、その時点でもうプレイは始まっている。
恋の熱気がさめきってから愛はぬくもっていく。
愛は低温火傷。
燃え上がらないけどくるまっていたいこたつのようなもの。
三度の食事より自分の期待値に対して満足度の高い価値と結果を提供してくれるのがAV。
映画や漫画なんて比にならない顧客満足度の高さ。
もちろん欲求と性向に直結してるからでもある。
素人もののAV作品の出演者が素人である必要はない。
利用者が求めているのは"素人くささ"。
ずぶの素人よりも"素人くさい玄人"のほうに需要がある。
人は実態より表象に惹きつけられる。
近そうで遠く、遠そうで近いところから全男子に夢を与える存在AV女優。
「近そうで遠く、遠そうで近い」がそもそもからして「夢」の定義。
職人の技の継承は、「見て盗むこと・聞いて理解すること」と「納得して体得すること」の二段階作業。時間を要するのは後者の作業にトライアンドエラーを繰り返し要求されるから。
将棋差しに弟子入りする人間もラーメン屋に弟子入りする人間もいずれは独立して師匠を超えることを考えている。独立志向のない人間は物事を噛み砕いたり呑み込もうとはしない。甘い汁を吸い続けてなめ尽くすだけ。
若者の目は"近視眼的"。
全体を見通せないかわりに、視野の中の光る物は見つけることができる。


大人の目は"大局観的"。
全体を見通せるようになったかわりに、視野の中の細かい誤差を見分けられなくなる。
身体的特徴やコンプレックスのイジリを見たくないから撲滅しようと騒ぐ流れは、たとえばジャポニカ学習帳の表紙や殺虫剤のパッケージから当該昆虫の姿が消えたのと一緒。
平気な人から見れば他愛ないものでも、"受け入れる理性"よりも"受け付けない生理"が勝る一部〈ノイジー・クレーマー〉のわめき声によって世の中が変えられていく現代日本は"苦情者迎合時代"。

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