《メっけモん》
みなみなさまの《メっけモん》を僭越ながらキュレーション。
オモにメモについてのメモ。
取るに足らぬ発見も「ユリイカ!」と叫ぶような発見もここでは等しく"発見"。 「再発見」ももちろん"発見"のうち。 メモにすれば《メっけモん》。
文章は、文字の羅列であるからこそ示唆に富んでいる。 作品の中で興味を惹き立てる装置としての示唆ではなく、受け手の思考や生活にまで波及する示唆である。 その示唆が強い理由? 単純に言葉そのものだから。
アルコールは(たぶんドラッグも)よくできてる。 脳が一時的に(全能感を覚えるほどまでに)活性化してイデアに到達するけど、そのほとぼりを過ぎたら細部までは覚えられていない。 細部にこそ神は宿っているのに。
結局、士気が上がるのは弔い合戦。
取り返しがつかないことをしたら、その代償を払わねばならない。 それが誰であろうと、その代償は払わせねばならない。
激情なんて抱かなくていい。 ずっと一定のぬるさで。
触れた瞬間は「ぬるく」ても、 もう少しあっためれば"ぬくもり"になる。 つまり「ぬるめないい奴であれ」ということ。 それを"ぬくもり"にするのは自分じゃない別の誰か。 たしか愛は"低温火傷"だったような。
感情には素直に、 駆け引きは狡猾に。
結局、持つべき精神性はひとつだけ。 「スれないコジれないフテクサれない」 これに限る。 キュっと酒飲んで酔っ払っちまえば、 臓腑に落ちる座右の銘は「いい奴であれ」。
男子より女子のほうが、あらゆる"儚さ"が身に沁みている。 男子は、頭ではわかっていても骨髄にまでは沁みているはずもないから、後から気づくばかり。 であればこそ、儚さを体現できる男子であらねばならない。
恋は世老け過ぎに愛へと変わるだろう。
誰であろうと持たされるべき人権よりも、その人しか持ち得ないピュアな心とその表現を侵害するほうが非道い。
インプットでスタンスが決まる。 アウトプットでスタンダードが定まる。
自分に関係のない人の生が目に入りすぎる時代。 流れていく景色と一緒で、目で追って焦点を合わせるのは気になった物だけでいい。
男女関係は"赦し"である。 「異性(生物)としての存在価値を有している」ことの"赦し"。
たとえば「タッチが細かい」のと「こねる」のは似てるようで違う。 あらゆる分野でその差に気づけるかどうか。