メディア研究者に見る行政主義的誤謬
日本のメディア研究者のひとりに名の知られているA氏がいる。彼は取り分けCIAや読売新聞などの分野で知られているが、今日ではTwitterでその人種差別、女性差別、家父長的価値観を露わにして止まず、明らかに右派論客に囲い込まれた知的生活を送っている様を観測できる。
メディアを研究していながら、アルゴリズムによって囲い込まれた原因は、ひとつには年齢や世代という明らかな側面がある一方で、SNSには人為的な側面が見えないために、「中立」な立場から放たれた情報が提示されているように見えるという背景も指摘できよう。これが私の言う「行政主義的誤謬」である。
なぜ「行政」かと言えば、日本国憲法(そしてまた外国にあっては多くの自由主義的と見されている諸々の憲法)の保障する諸々の自由が、非政治的で価値中立に人為を介さず、恣意的な判断・行為がなされているようには見えない点に共通点を著者が見出したからである。
もちろん行政であれ、SNSのアルゴリズムであれ、知識があれば、中立的に作用するものではないことは見抜ける。
その為に必要な知識がメディア研究で自然に身につくわけではない、ということであろう。