人と関わる仕事がしたい!!(市役所時代~後半~)
自分の暮らすまちの福祉を支えるんだ!と市役所に就職した私。
それが、たった二年で福祉事務所から異動になってからのお話。
~このまちの福祉を支えるんだ!(市役所前半)の続きです~
私は人と関わる仕事がしたいんだーーー!!!
私は福祉を学び、こんなにも人が好き。
パソコンは大嫌い!!
いつも情報政策課の人を呼んで、パソコン復旧してもらってた私が、プログラミングとか。。。無理じゃろ?
しかも、個人情報を守り、ほこりなどを入れないために、部屋は密室で、入り口では靴を脱いで、扉を開けなければ入れない。
決して、気安い場所ではない。
あー!!こんなところで、パソコンとにらめっこして過ごさなきゃ??
途方に暮れつつも、担当課に用事があることを装いつつもフラフラ庁舎内を歩いていた私は、しばらく経つと、パソコンが苦手な職員さんからたくさん質問されるようになった。
私はこういう感じでもいいんだ、と感じられるようになってきた。
フラフラ歩いていると、市民の方から道を尋ねられることも多い。
市役所の構造がわかりにくいからだ。
一週間に何度も同じルートへの道を聞かれる。
これは、何とかしなきゃ!!
若手職員でつくった「みんなの未来を語る会」で、庁舎内をルート案内するラインを床に書くこと(視覚支援)や、入り口に「おたすけマップ」を掲示することなどを提案した。
職員提案制度が受理され、導入することができた。
床にラインを書くなんて、よく認めてくれたなぁと今では思う(笑)
「みんなの未来を語る会」とは
まちをもっとよくしたい、という思いのある仲間でつくったもので、仕事が終わると集まり、業務の中で感じていることや、こんなことが必要じゃないか、など語り合った。
所属部署がみんな違い、いろんな情報が集まり、何か疑問に思ったことは持ち帰って調べてくれたり・・・「なんでもできる」気がした。
母が市民活動している影響もあり、私もプライベートの時間で老人保健福祉計画の策定などに市民として参加するようにもなった。
そうこうするうちに5年が経ち、次の異動が発表された。
まさか・・・「財政課」!!
少数精鋭で、残業が多い、みんなから嫌がられていた部署。
パソコンの次は電卓か!!
異動後には、いろんな職員から慰めの言葉をかけられ、私の家族からも励ましの絵本をもらったり・・※それほど過酷な職場ってことです(;'∀')
今まで触れてないが、私は市役所に入ってすぐにバレー部に入り、毎週練習し、ダンスを週に4~5回やり、所属していた5colorsというアカペラグループでも毎週練習していた。
見ての通り、すでに一週間では数が合わない(笑)
バレーのあと、ダンスにいったり
ダンスのあと、歌の練習にいったり
そんな趣味の世界を満喫していたのです。
そんな私が、残業が月に100時間越えの課に・・・!!
確かに残業が100時間超える月もあった。
年に半分の月はそんな残業時間。
それでも救われたのは・・・メンバーが素敵だった💛
優しい人ばかりで、ものすごーくケアレスミスをする私を見守ってくれた。
残業のときは、みんなで同じお弁当を食べて乗り切った。
業務外でも、担当課を超えて「みんなの未来を語る会」のメンバーを中心にプロジェクトに参加し、福祉工場でつくるきのこがどうすれば売れるか考える機会ももらった。
そういう担当業務外に関わることは、忙しくはなるんだけど、自分自身のモチベーションの維持にはすごく大事だったなぁ。
でも、「なんで私を窓口に出さない??」という不満は募り、市民活動も続けながらアピールもしてた(笑)
そのころ、長いながーい片思いに終止符をうち・・・
「このまちでは結婚できないな」、ふと頭をよぎった。
情報政策課→財政課という流れは、いわゆるエリートコースで、このまま女性管理職に育てたい意向をひしひしと感じていた。
自分に合わない仕事をして、次は管理職って、楽しいのか???
こどもが早く欲しかった私だけど、相手すら見つからない状況。。
「このまちを出よう」
受験していなかった社会福祉士の資格を取ろう。
そのためには1月の試験に向けて勉強しなきゃ。
だけど、残業でなかなか時間がとれない。
ということで12月に辞めることに決めた。
一番仲良くしてもらっていた総務部長に伝えた。
止めてくれた。社会福祉の仕事をしたいなら異動させるとも言ってくれた。
でも、もう気持ちは変わらなかった。
「奈良の大仏さまの周りで暮らしたい」と奈良でアパートも決めた。
とんとんと進めていた11月末、沖縄でだんなさんと出会った。