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やっと「過去」を手放せる時が来た。
かれこれ1年間、メンタルが回復するのに時間がかかった。
昨年の夏、職場に悩みきった私は、親友と会った時に話しながらボロボロと泣き出した。親友が限界を察して「状態がおかしい」といってくれたおかげで、私はついに自分の心の「助けて」を周りにはっきり伝えることを始めた。
今、思えば、まだ友達と会う元気が残っていたことが幸いだった。
それをきっかけに、”変えるには行動するしかない”と思うようになった。やってみたかったことを友達と企画をしたり、最初に就きたかった職を諦められないと転職活動をしたりした。同時に、本当によく悩み、よく落ち込み、よく振り返り、「こうしていれば」「昔のように」と今の自分を攻め続けた。
けれど、パワハラ上司と闘い、セクハラ同僚とも闘い、なりたかった理想の自分とも闘かった。
そして、今は思う。一番欲しかったはずのものを掴みきれなかったことは、私の実力不足だ。
もう、十分がんばったのではないだろうか。
この3連休実家に帰り、久しぶりに家族と会話し、その自分が半年前と違うのを感じた。暗い顔、暗い話しかしていなかった自分が、全然カッコよくないし、これまで思い描いていた理想の姿とは違うけれど、前向きに生きようとしていた。
「今」の自分が、そこにいた。
私という存在は、この世の中ではちっぽけな存在で、周りから「凄い」と言われる能力もなく、社会に高く貢献する未来の見込みもあまりない。でも、だからといって、価値がないわけではないはずだ。そう思えた。
今なら、「過去」を手放せる気がする。
過去の自分の理想に執着し続ける自分、変化していく自分を受け入れられない自分、それを攻め続けた自分。
そんな「過去の自分」とけじめをつけ、宝箱にしまう。
私の一部だったことは確かだし、私を狂わせもしたけれど強くもしてくれたから、捨てたくはない。
私の異変に気付いてくれた友達が、
「学生までは物語の第1章。社会人になったこれからは人生の第2章。」
と言っていた。
第2章に、第1章と同じじゃないといけないなんて決まりはない。
何か、大きなきっかけがあったわけではないけれど、そう思えるようになった自分に、寂しさと嬉しさを感じた。そんなことを思いながら一人、東京に戻るため、地元のターミナル駅から電車に乗り込んだ。