note

なんで最近noteが書きやすくなったのか考えた結果、普通にタイピングが早くなったからではないかと思い至ってなんだか拍子抜けしてしまった。

以前noteを続けようとして挫折してしまっていたのは、習慣がつかなかったとかかしこまりすぎていたとかマインド的なソフトの問題もあったが、それ以上に技術的なハードの方が問題だった。タイピングという出力作業に時間がかかっていてめんどくさくなってしまっていたんだけど、今はそういうストレスが軽減されたからなんとなく続けられているんだと思う、たぶん。


パソコンには中学生の頃から触れているはずなのに全然ブラインドタッチとかできなくて、いつか早く文字を打てるようになるだろうと思っていたけどそんな気配が一向になく、将来パソコン仕事からは逃れられないことを考えるとあぁこれはちゃんと意識して練習しないといけないんだと思い立ち、この2ヶ月タイピングの練習をしていたんだけどこれが仕事とかではなくnoteでの思考整理に役立つのか!みたいな発見があった。


(タイピングじゃなくて音声入力も良いなと気になってはいるんだけど、考えながら喋るというのは文章を書くのとは違う能力な感じがして、私の得意な方面ではない気がしてあまり上手くいかなかった。でもまだもう少し試行錯誤しつつ自分に合う方法を探してみるつもり。)


あと、こういうnoteは毎日更新しなきゃというタスクとして認識するのではなく、思い立ったら即やるのがちょうど良い距離感だと気づいた。

普段見聞きしたものに関してずっと考えごとをしているせいで頭の中が思想で交通渋滞していたんだけど、何かひらめいた瞬間に文字に書き起こして思考の整理をすることはストレス発散になるんだとも思えるようになった。

昔から考えを言葉にするのは好きだったんだけど、それをアウトプットするという発想もなかったし、かといってtwitterの140文字だと全然足りなくていつもスレッドになってしまって面倒だし…

しかもいろんな人のTLに垂れ流されてしまうというのが心理的にハードルが高かった。twitterだとほんの少しの好奇心とワンタップで他人の発言を容易に見ることができてしまうので、これを言ったらあの人は傷ついてしまうかなとか、これはこう言い変えたほうがいいかなとか、かなり神経を使って文面を考えていた。(twitterにはtwitterの良いところがあると思ってやっているし、この作業は決して無駄ではないとも思うけど)

でもnoteならわざわざタグを検索して、最初の文頭を見て、おおよそ人に見てもらう気がないタイトルを乗り越えてやっと見てくれるみたいな状況なので、好き勝手にやりつつもしかしたらどこかで誰かとそれとなく繋がれるみたいな距離感が安心できるのかもしれない。


まだぼんやり気楽にやれているので、考えを言葉にすることは出来る限り続けたいなと思っている。

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