よくわからないけれど、「誰かの嬉しいこと」って、嬉しいじゃない。
他人の幸せを喜べる人になりたい。
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少し前に、「きのうなに食べた?」という映画を観た。
年末年始前は旦那が仕事で忙しいし、一足先に年末年始休みに入った私は、
上記の映画をひとりで鑑賞することにした。
少し前に会った友人が、「良かったよ」とすすめていたことも決め手になった。
詳しい内容は割愛するが、私に一番響いた言葉をここに記しておきたい。
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映画の中で、主人公カップルの買い物友達の娘が妊娠し、「私、おばあちゃんになるのよ」と嬉しそうに報告するシーンがあった。「おめでとうございます!」と祝福ムードになる一同。
それを聞いた主人公の友人カップルの一人は、
「子どもってそんなに必要?」
と呟く。彼らは同性カップルなので、自然に子どもが臨めないから出た言葉だ。
それを聞いて、主人公の恋人は呟く。
「よくわからないけれど、「誰かの嬉しいこと」って、嬉しいじゃない」
確か、こんな言葉だった。
私はこれを聞いて静かに涙を浮かべた。
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今までの人生の中で、妬むという感情が無かったわけではない。
友人の大学合格を羨んだり、美人を見ていいなぁ…と落胆したり。
今現状で言えば、繋がりのある方から来る年賀状に笑顔で映る子の成長に、
子なし夫婦の私は、自分がちょっと置いてけぼりにされている気分になってしまうこともあった。
それでも。
心を失ってはならないし、私はこの映画の一言のように、純粋に喜んでいる方が自分らしいと思う。他人の嬉しいことって、自然と私も嬉しくなるじゃないか。痛いと思われてもいい、純粋に祝える人の方が、幸せな人生になるのではなかろうか。
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映画の帰りに、小さなお店に寄った。
かわいい、パンダのお饅頭が売っていた。
そのお饅頭を見ているうちに、お腹の出た旦那の体系にそっくりだと愛らしく感じてしまい、「ふふふ」と笑みがこぼれた。つい購入してしまった。
小さな気づきと小さな幸せの先に、何か大きな楽しいことが待っているのかもしれない。私は、私のペースで、穏やかに日々を重ねていけたら。
ホカホカした気持ちで、私は帰路についた。