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家々の貧富の差を露呈させる結婚制度

他人の家庭の奥深くに入り込むことが、普段の生活にあるだろうか。

私は今までの人生には無かった。友達の家に遊びに行っても、彼氏の家の事情を聞いても、そこで知ることができるのはとても表面的な情報であり、家々の価値観や状況はつかみきれない。
だから普段は、「自分の生家がそんなに裕福じゃないな」とか「あの子はお金持ちかも」といったざっくりした理解で終わっていることがほとんどだ。

「私の家は貧乏かもしれない」とはっきりと認識したのは、結婚をしてからだった。結婚とは、初めて「自分の家以外の敷居を跨ぐ」ことであり、別の家庭の情報がシャワーのように降り注ぐこととなる。

私の家の話をしよう。
家は田舎にあり、自営である。かろうじて一軒家はあるが、とても古い。水洗トイレはなく、ボットン便所をずっと使っているので家に定期的にバキュームカーが来る。クーラーとテレビは家の中に1台しかない。牛肉や蟹など少し値が張るものが食卓に並ぶことはまずない。おせち料理なんて食べたことがない。お風呂は銀色の昭和感漂うもの。学校には通わせてもらったが、奨学金を300万ほど借りた。車の免許はバイト代から捻出し大学入学後数年で取ったが、車はなかなか買えなかった。就職後に30万円の車を買った。

一方、結婚して知った他の家庭は、おそらく至極一般的な家庭だと思う。だが、床暖房つきの綺麗な一軒家。もちろん水洗トイレだし洋式。空調は基本的にどの部屋にもある。普通に牛肉が出てくるし、イベントごとでは蟹も食べる。おせちやお雑煮も作ったり買ったりする。お風呂も新しい。旦那は奨学金を一切借りていないし、大学に入るまでにずっと教育にお金をかけてもらっている。車の免許は「取りなさい」と言われて費用は親持ちで取っている。免許取得祝で新車をプレゼントされている。お茶菓子が常に家にある。

人様の家に嫁いで初めて、「生家は貧乏だったのではないか?」とひしひしと感じることとなった。

私はこの家庭で育ったことを特に恨んでいないし、育ててくれたことに感謝している。でも、結婚して数年経って、親の気持ちを慮らなければと考えるようになった。

貧富の差が露呈して、惨めな思いをしているのは私ではなくて、両親なのではないか?

私の両親は、旦那を家に呼ぶのをとても嫌がる。私が帰ることすら嫌がるし、客間以外には絶対に入れてくれない。結婚を機に私は娘じゃ無くなったのだろうかとショックを受けることもあったのだが、両親からしたら他の裕福な家庭で育った他人に古い家を見られたくないのかもしれないし、他の家を知ってしまった娘はもう「外の人」なのかもしれない。

お歳暮やお年始を嫌がるのだって、生家でかける5000円は他の家庭でかける5000円とは価値が違うからなのではないか。捻出するのが大変なのに、必ず毎年買わなければと考えると荷が重いのだろう。

でもきっと、こんなことを娘が嫁いだ先の家庭に知られたくはないのだ。

私は幸せな結婚をしたと思う。旦那とはもう随分一緒にいるのに、毎日が楽しいし、一人暮らしには戻れないとも思う。

でも両親からしたら、違うのかもしれない。ここに、貧富の差を露呈させる結婚制度の難しさがあるのだと思う。


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meimy@日常エッセイ
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