あきれるくらいの傲慢さ
傲慢さは自分の中で非常に不快な感情として認識していて、あきらめにも近い感じで受容して付き合ってる。
最近、内観する中で改めてその大きさに気づいて、驚いたところでした。
傲慢さへの気づき
子供にイライラしてしまう時、すごく感情的になってしまう時を考えてみると疲れていたり眠い時、体調悪い時が多い。
単純に疲れてて感情のコントロールできないっていうのもあるけど、休みたいのに休めないってことにフラストレーションが高まって感情を爆発させてしまう。
そこをもう少し深堀してみると。
みたいな気持ちがあって、もう少し解像度を上げてみると、
っていう傲慢さが明るみになってくる。
これは日常的にも抱いていて...
そんな傲慢さが心に溢れていることに気がつく。
もうそれはあきれるレベルで心の多くを占めている。
傲慢さはどこから?
傲慢さがどうやって生まれたかってちょっと考えてみたら、親の考え方を引き継いでいるところに思い当たった。
親がけっこう自分達が正しい的なことをずっと話してたし、正しいから偉いって考えを持っているところがあった。
正しいから偉い、正しい自分達が偉い、正しくないことをする他人が理解できない。
そうじゃない人達を見下す風があった。
他人の正しくない部分というか、粗を探して悪口言って、優劣つけてた。
そういう環境に身を置いていて、そういう考えが刷り込まれて、自分の中にも傲慢さが大きく育った感じがする。
傲慢さの弊害、利点
人付き合いに関して、この傲慢さは他人との距離を縮める上で障害になっていることはわかっている。
傲慢さを持って常に上下関係を作ってしまう。優位性を探ってしまう。優劣をつけてしまう。
その自分の傲慢さを「恥ずかしいもの」って思ってるから、
隠さないといけないと抑え込んで、他人とコミュニケーションとるからぎこちなさが出てしまうように思う。
傲慢さ出さないようにってすごく気を使う。
一方で、傲慢さがある面では自信を生み出しているところもある。
この傲慢さのおかげで多くの人がなかなか行動に移せないことも行動に移せたことはいくつかあった。
傲慢さが自信に昇華されている部分はある。
自分の傲慢さにあきれて、この傲慢さをどうにかしたいと思うけど、
これはコントロールできるものではなくて(ほかの湧いてくる感情と同じで)、できないものをコントロールしようとすると心の摩擦が生じてより苦しくなる。
癖、心に染み付いたこの傲慢さを認め受容し、良くも悪くもなくただただそういうものとして付き合って、脱フュージョン的(あくまで思考と捉えて)に自分が望む行動を選択したいと思う。
ジャーナリングや瞑想で「傲慢な思考が湧いてる」って気づくことで
傲慢=自分ってのと切り離せる
そう、そういう心のトレーニングに日々取り組んでいきたいと思う。
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