駐在の怖い話 その2
アメリカの某州某都市。
ある年、そこそこの年齢の駐在員夫婦が、夏休み中の学生の娘を赴任地に呼び寄せてESLに通わせた。そこには日本人が多数いて、人見知りする娘にも会えば話すような仲の人ができた。
その中の1人に社会人学生(現地採用の就活中だったかもしれない)の女性がいた。
ある日、彼女は娘に「急にアパートを追い出されることになって困っている。次の家決まるまでお家に泊まってもいい?」とお願いしてきたそうな。
娘の家は両親の家、長期休み中だけの仮住まいの身なので断る娘。
「そもそもそこまでのお願いを聞けるほどの仲では無いし」とも思ったそうだ。顔見知り程度で家に住まわせるのはキツイ。
さらっと断ってこの話はこれで終わり
…だったはずだった。
数日後、その女性がスーツケースを抱えていきなり訪ねてきた。
「はじめまして!娘さんの友達です!お世話になります!!」
家族3人がかりで説得し、丁重にお断りして、お帰りいただいたが、
「同じ日本人同士なんだから助けてくれたっていいじゃない!!」
女性は捨て台詞を残して去っていった。
娘はその後予定より早くESLを退会。観光をメインに両親との時間を過ごし無事帰国した。
元クラスメイトの女性のその後は誰も知らない…
というオチになるはずだった。
完全に住所を把握した女性はその後娘が帰国した後も度々「居候させてください」と家に来たそうな。
「無理」で突っぱねるたびに「日本人同士なんだからもうちょっと優しくしてくれても」と繰り返してたらしい。
私が聞いた駐在員の体験談で一番ゾッとした話である。
ここまで強烈な人に私は遭遇したことは無いが、
「同じ日本人同士なんだから」が魔法の言葉のように一種の『免罪符』になっていると感じたことはあった。
帰国してみれば「同じ日本人同士だから何だと言うのだ。」とはっきりわかるのだが、帯同していた頃、特に不慣れな新米駐妻だった頃は日本人同士助け合い、助けてもらうことを異様に期待していたのもまた事実なのである。
あの薄気味悪い、いい年こいた大人の癖に出したり感じとってしまう甘えは何だったのだろう。
慣れない海外生活への不安やストレスだったのかもしれないが、ぶつける方向を間違えていた。