わたしというものを 深く深く探していた。 探すということは 見つかっていないということで 見つけたい、という行為が 延々と続く。 そのうち見つかるだろうからと思い それを忘れて 違うことをしている時 それは突然何かを呟く。 言葉ではない何か。 雰囲気という感じの何か。 湯気のようにあっという間に消える だから捕まえておくには すぐそれをすることになる。 そうしないと消えてしまう。 人はこれを直感と呼ぶのだろう。 身体、は入れもので その直感を使って 湯気みたい
コロナ禍が始まる少し前に あちこちから違和感が出ていた。 不思議なくらい色々な事がうまくいかず 足止めをされている感じがしていた。 最近になって、その意味が 理解できるようになった。 色々な方々の本に よく書かれている、低迷期みたいな。 これは必要だから起こったのだと 今ならはっきりわかる。 身体が思うようにいかず そうすると 自分の内側を探すことに なってくる 結論から言うならば 内側と外側が同じだという それはそれは不思議な事。 そして、当たり前すぎたゆえに
身体を治療しながら 猫たちを看病しながら わたし探しをしていたら とんでもないことに 気づいてしまった。 身体って、境目がない😳 ということに。
最近色々考えながらも ぼーっとしていて。 ふと気づいた。 昔の人は 猫をみたとき どんな会話をしたのだろう? 「あのね、さっきみちで 膝より少し背の低い生き物を見たよ 耳がこんなで 目はこんなで 長い毛が口の近くに生えてて 後ろに長いけむくじゃらが生えてた ライオンの子どもかもしれない でも吠えなかった なんて、言ってたりして。 絵って、これを説明するのに便利 絵は説明する為に生まれたのかしら。 じゃあこの生き物を ねこって呼ぼう。 生き物の名前は そうや
最近、色々な哲学書?を読んでみて 思うこと。 頭をからっぽにしたら 次の日はどんな日になるのだろう。 いいアイデアが浮かぶ時って 大抵からっぽな時。 だからからっぽな時間を作ってみたら、どんなふうになるんだろうと よく考える。 瞑想って、その手段かもしれない。 神様にささげる祝詞も 仏教にあるお経も 中身が凄くにているのは その意味って? 最近の私の謎で、テーマ。
長いこと色々な分野にいて 気づいたのは。 健康は作れる。 西洋医学の発展も必要なのだと思うけれど、 東洋医学は個人?個体?の状態を 見ている。 どちらが悪いとかではなく 必要に応じて使い分けられたならいい。 バイオの世界にいて気づいたのは 人体は素晴らしいということ。 どこか不調がでても 大概は治ってしまう。 多分だけれど 人間も自然の一部になれば 健康でいられるように思う。
私は、普通というのが昔からよくわからなかった。 普通って? 何が基準? このこはピレリくん。 ただ、ピレリくん。 それ以上でもそれ以下でもない。 私はわたし。 料理していようと 大型バイクで走っていようと 研究に没頭していようと 優しく絵を描いていようと 猫たちに優しく撫でていようと 私はわたし。 それ以上でもそれ以下でも 右も左も 上も下もない。 私はわたし。 比べる必要はない。
私にくるご注文には もうこの世にはいないにゃんこの写真を 絵にして欲しいという事がよくある。 絵は基本的に自由なものだけれど、 私が決めている事があって。 飼い主さんがご注文をくださるとき、 そのお気持ちは色々で、 私はそのお気持ちをなるべくくんで 描いてみたいと思っています。 だって、もう一度逢いたいから ご注文くださるのだし。 お写真があるけど 絵が必要なのは、どんな気持ちなんだろうと、私なりに考えます。 いただく写真から どう描くのがいいのかは なんとなく雰囲気
我が家には、猫が4にゃんいる。 とても気ままに、しかしべったりくらしている。 中でも13年連れ添ってくれている、ヅラ猫のピレリくんは、私にべったり。 あついのにね。 ここまでなついてくれていると、 我が息子に思えてきたりする。 今日、久しぶりに絵を描いてみたいと思った。 あと何年一緒にいてくれるだろうかと考えて、涙が出た。 カタワレドキ。 それを思い出す。 泣きながら描いていた。 カタワレドキ。 この優しい子がずっと側にいてくれたらと、そう願っている。
以前はあまり気にしていなかった月のこと。 最近、天気がいい時は月を見上げている。 絵を描いていたり、スマホに何か書いていたりすると、どうしても下ばかりみていて気づくと首や肩が凝っている。 忙しいと忘れてしまうのだけれど、 上を見上げる事ってとても大切。 姿勢が良くなったり、肩凝りが治ったり。気分まで上がる事もあったり。 家事や色々な事をする時、大概下を向いていてそのままずっと下を向いている時だってある。 下を向きたい気持ちの時は、 これからは私は、 あえて上を見上げ
最近、自宅にいる時間が多くなった。 2018年から親の在宅看護のためにすべての時間を割いていた私は、2020年の今も、在宅時間が長い。2019年に体調を崩し、今は時間を区切ってできることだけをこなしている。 自宅より働くことのほうが好きだった私には、正直つらいことも多い。 誕生日を迎えたあたりから、人生の転換期を感じる出来事にたくさん遭遇していた。 13年も気づかなかった事や、見えなかったもの、解らなかった出来事。見ている景色も感じる空気感も、嬉しいことも。悲しいこと
前のお仕事をやめ、 絵描きをはじめてから。 何年も休む間も無く止まる間もなく。 悲しい事も、我慢し続けていました。 心の負荷は、身体の負荷になるよう。 なんだか身体がおかしいと感じるようになるまで、ずいぶんと無理してしまっていました。 私と同じ様に体調を崩す方も、きっといる事でしょう。 人を癒すのと同じ様に、自分も癒す。 それは元気に過ごす為にとても大切な事なんだなと、忙しかった日々を振り返っています。 ほぼ起き上がる事が出来ない中で描いたイラストは、アマビエさんを
手書き布絵作家のmeiです。 このたび note、はじめました。 今までは、絵・イラスト・我が家のにゃんずを、アメブロ、Instagram、などなどのSNSに載せていました。 『癒し系ですね』とコメント頂くこともあってか、もう2年以上絵を投稿する日々が続いていましたが、、、。 2020年になり、急速に猛威をふるう新型コロナウイルス。 どんな方でも不安いっぱいになってしまう世の中になったいま、私にできることって何だろうと考えるようになりました。 もし、私の絵がどなた