「忙しい」よ、さようなら
3つの雑誌の編集長をかけもちしていた頃、親から電話がかかってくる度にいつも「忙しい、忙しい」と言って、ろくに話しも聞かずに切っていたときがあった。
あるとき、父にこう言われた。
「あのな、忙しいって、心を亡くすって書くよな。つまり、どんなに時間がなくても、心さえ持っていれば、忙しくならないんやわ。心は忘れたらあかんのや」
禅問答のような父の言葉に、わたしはピシャリと背中を叩かれた気がした。
「忙しい」を連発していたときは、ミスも連発。まわりの人たちには大迷惑をかけ、信頼も失い、その結果、自分の汚点を拭いて回ることに余計に忙しくなり、自分がやっていることにも自信を持てなくなってしまった。
このままじゃ、いけない。わたしは考えた。
「忙しい」という状態はちっとも偉いことではない。本当に偉いのは、「忙しい=心を亡くす」状態にならないことだ。つまり、人間、「忙しく=心を亡くす」までの状態なってはいけないのだ。
忙しくするのではなく、どれだけ忙しくならないようにするかが、仕事の頑張りようなのだと、気づいた。それから私は「忙しい」という言葉を口にしないようになった。
すると、どうだろう。
どんなに時間がないと感じているときでも、「忙しい」という言い訳さえしなければ、きちんと相手と向き合えるようになった。
相手だけではない。自分自身とも余裕を持って向き合えるようになった。そのおかげで、それまで超特急で流れていたまわりの景色が、ひとつひとつ、はっきりと輪郭をもってクリアに見えるようになった。
きっと素通りして来たであろうことを、きちんと感じるようになった。忙しくならないように苦心することが、わたしの仕事の、そしてプライベートの前提となった。
心を忘れない忙しくない人生は、それだけで人を何倍にもしあわせにしてくれるのではないだろうか。