教養じゃご飯は食べられないなんて。
ある日、営業先の顧客と趣味の話をすることがあった。
私は無難に「中国語でドラマを見ています」と答えた。
「3ヶ国語もできるんですか!仕事に直結していますね、すごいですね。」
ハッと気付かされた。
そう、この世の中では「仕事に直結しているかどうか」で評価されることがほとんどだ。
社会人になるまで学んだことはどこに消えたのか。
仕事の都合上、採用関係の人と話すことが多い。
あるいは、履歴書に目を通すことも多い。
履歴書だけでは人となりが見えないから、結局「どんなスキルが有るのか」というところに行き着いている印象が拭えない。
大学入試で一生懸命難関大学に行こうとした人。
あるいは、学びたかったことを見つけ、大学に進学した人。
いずれにしても、4年間高等教育を受けた高度学習人材である人々だったはずなのに、その人々が就職する先は大学の学びとは外れたものが多すぎる。
政治学を学んだら政治家にはならない。
法律を学んだ人は全員弁護士にはならない。
これらのことは仕方のないことでもあるが、私の言いたいのはそのレベルではない。
政治学が社会人になって役立たないと認識されていることが問題である。
そう、日本経済新聞を読んで事情通となれる(様に感じられる)社会が問題である。
悲しいのは、新聞など読まず、ネットニュースを見てトレンドを追いかける人が大半を占めているということなのだが…。
それでも、大学院卒よりもたくさん給与をもらって時代の成功者となっている人がたくさんいる。
大学院を努力して卒業しても、評価してもらえないだけでなく、陽のあたる場所に出てこられない人が、たくさんいる。
皆がジョブズ化する世界
社会人必読の書というものは、毎度私をアウトローだと実感させる。
要するに、「成功する社会人とはこうだ!」と決めつけるような記事が多いことに辟易している。
一応誤解を招かないように伝えたいのだが、私も一度ビジネス書をKindleで読み続けた時期がある。
そして、今もその習慣は継続している。ビジネス向けの記事は欠かさずNewspicksでチェックするし、いわゆる名書を簡単に読めるサービス「flier」も時折利用している。
便利なものは使っていくべきだし、ある程度知らなければいけないことに関しては選り好みせず読むべきだ。
しかし、問題は、それを他者に矯正してはならないということだ。
皆がビル・ゲイツではないし、スティーブ・ジョブズではない。
すぐ彼らの名前を出し、語る者もいるが一つ注意してほしい。
何より日本で育った環境とは明らかに違うのだ。日本人はすぐ学歴主義を嘆くが、それなら彼らの評価がこんなに高くなることは本来疑念を抱いてもいいはずだ。
彼らは大学を「完全」には卒業していない。
しかし、日本人はすぐジョブズを尊敬するし、ビジネス・パーソンを例に挙げたりする。要するに、皆は成功者が好きなのだろう。
瞑想が好きだという人が増えていたり、ファクトフルネスの話しかしない社会人がいる。
一生懸命学んだ知識をなにかに活かそうとすることはとても素敵だが、それを「アウトプット」すると称する。アウトプットのためのハウツー本が出て、売れる。
本を読む方法すら、書けば売れるし、読んでもらえる。しかし、教養や人類の総合知というような本は「固すぎて、誰も読まない」。売れない。
様々なことを学んできたとしても、それでご飯は食べられない。
それでも量産型はつまらない。
価値があるコンテンツってなんだろう?
教養のある人間というだけでは、「すごいですね」という評価にとどまってしまう。
お金を稼げていればもっと評価されるし、それだけで時代の成功者となる。順序が逆になってしまうから、このむず痒い思いを消すことが出来ないのだ。
それは、ライティングでも同じだ。
最近、私もライターとして委託される記事を書くことが増えた。その中でこうして文章を書く葛藤と戦っている。
読まれる記事を書くことは、「人のためになる記事」かもしれない。あるいは「アクセス数の多い記事」なのかもしれない。それはもちろん、ただアクセス数の多い記事というだけでなく、「価値のある記事だから沢山の人が見ることによってバズる」のなら意味があるのだろう。
でも、最近の記事はSEO対策にだけ注意を払っているものも目に入る。実際「この書き方をすれば読まれる、ヒットする」という書き方ばかりだ。
いわゆる正解パターンとでも言えばよいのだろうか。
SEO対策のある記事を書くことはできるだろうし、お金を稼ぐ文章の書き方なのかもしれないが、それが正しい日本語の文章なのだろうか。
少なくとも「名文」ではないことは間違いないだろう。
「物書き」で生きていくことはとても難しい。この「物書き」はきっとライターと言う定義ではない。何かを発信するというところはあっていても、WEBライターは自分の意見を発信する立場にないからだ。
何より、自分の書きたいように書くだけで稼げるような人間は一握りだ。だからこそ、まだ委託された記事を完璧に短期間でも執筆し正解パターンでたくさん納品をしたいと考えるべきなのだろう。
一生懸命に文章を書いたところで、不毛なばかりなのかもしれない。
有名になって、何気ないことを投稿するだけでアクセスしてもらったり、新たな一面を発見してもらえればよかったのだろうか。
こうして、どんなところでも感じてしまう。
結局教養ではご飯は食べられないのだ、と。
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