ざわつく心
土曜日の夜から、心がざわざわしている。
めまいがしたり、胸がつかえたりする。年末で疲れていることもあるし、ストレスも感じているのだろう。
自分の影響のされやすさもあるが、それだけ身近に感じていた、ということでもある。
人生に満足できることはなく、失望ばかりだ。
幸せそうに見える人たちは、「~そうに見える」だけなので、うらやむ必要はない。「幸せだ」と言っている人たちは、わざわざ宣言しているわけで、それはそれで危険だと思う。自分に言い聞かせなければならない人たちも、相当大変ではないか。
悲しみや憂鬱、捨て鉢な気持ちを抱えて、わたしは生きている。
「みんな、つらいんだから、あなたも頑張って」という励ましは、もはや脅しのようでもある。
わたしの絶望感や孤独感を緩和させる方法は、日々のことを淡々とこなすことだ。お皿を洗ったり、掃除をしたりといったルーティンワークで、気分が整えられていく。
外出をして動きすぎても疲れるし、自宅でじっとして何もせず動かなさ過ぎても疲れる。だから、適当に動かなければならない。
年を取ること、老いへの恐怖、生活を維持するために働き続けなければならないこと、いろんなことが不安だ。死に対する恐怖より、生き続けなければならないことのほうが、ずっと怖い。死への恐怖より生への恐怖が大きいのであれば、死がそれらからの解放を意味してしまう。
今日はしなければならないこともあったのだが、寝てしまった。
まあ、それも良しとしよう。ざわざわする自分がいるのは事実なのだから。
お風呂にでも入って、ゆっくり寝よう。入浴すると、寝つきはかなりよくなる。
どこかで人生は必ず終わるのだから、自分で終わらせなくても大丈夫だ。自分にそう言い聞かせながら、わたしは生きてきた。今のところ、これ以外の回答を持てたことがない。
(月曜日になっても、まだ疲れている。もう検索したり、ネット記事を読み漁るのはやめよう。)
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