庄司薫(2000)『バクの飼主をめざして』中公文庫の読書感想文
庄司薫のエッセイ集『バクの飼主をめざして』を再読した。1973年6月に講談社より出版された本で、わたしの手元にあるのは2000年の中公文庫版であった。ちなみに表紙のイラストは、奥様の中村紘子さんによって描かれたものだ。
庄司薫は1937年生まれで、1958年の21歳のとき、『喪失』で第三回中央公論新人賞を取って、1969年32歳のとき『赤頭巾ちゃん気をつけて』で芥川賞を受賞している。赤頭巾ちゃんシリーズが4作で、その後は、エッセイが出版されただけで、小説は書いていない、と言われている。
ピアニストの中村紘子さんと結婚され、幸せになり、書かなくてもよくなったのだろう、と推察される。ちょうど一回り年下の1949年生まれの村上春樹が、精力的に書き続けているのは、やはり、生まれながらの作家であるのか、あるいはそれなりの闇と葛藤を抱えているからなのか。心が満ち足りて、経済的にも困ってもいないのに書き続けるのは、何らかの動機付けがあると思う。何も書かなくても、満ち足りているのなら、それが一番いい。
『バクの飼主をめざして』に話を戻すと、庄司薫の文体は非常に読みやすい。軽やかで知的で、ブルジョアっぽさがある。東京大学法学部卒で、丸山真男ゼミに所属していて、非の打ち所がないエリートだ。
このエッセイ集は、芥川賞受賞後に新聞や雑誌といった媒体で書いた受賞後のエッセイ、あいさつ文のようなものが、いくつか収められている。
彼が慣れない手つきで、インタビュアーや出版社の編集者にお茶を出しているとお嫁さんをもらったほうがいいですね、と言われる。庄司薫は、結婚相手は「秘書兼お手伝いさん」ではない(p.74)と、はっきり言い切っている。だから、ピアニストと結婚できたのだな、と改めて思う。
ただ、やはり、日比谷高校と東京大学の話が延々と続くので、食傷気味になってしまうのも、また正直なところである。世間的には特別な場所だから、語る価値があり、聞きたい人もいる。1970年代は、まだまだ東京大学は雲の上で、特別視もされていたのだろうし、出版関係者に東大卒の人も多かったから、誰も止めなかったのだろう。所詮、日本の高校と大学で行われていることなんて、たかが知れているし、そんなに興味深いこともなかろう、と思ってしまう。端的に言えば、ホモソーシャルな空気感がある。
以前、名門でもない出身大学の話を延々とする人に遭遇したことがある。その人は自己愛が強く、自分語りが大好きな人だった。自分語りが好きだと、大学も自分の一部になってしまうのだろう、とそのとき思った。まあ、30歳を過ぎたら、母校の話をするのは、やめた方がいいと思う。(とはいえ、アメリカのドラマだと、出身大学のトレーナーを着ていたりするシーンを見かけたりする。あれは揶揄なのか、マジなのか。どちらなのだろう)
思わず笑ってしまったのは、三島由紀夫が『赤頭巾ちゃん気をつけて』を「肩の力が抜けている」と評した(p.37)というところだ。三島由紀夫は、生まれてから死ぬまで、一度も肩の力を抜くことができない人だったのではないか。三島由紀夫の不自然さ、過剰さの対極に庄司薫はいるのかもしれない。
あわせて、1973年12月に中公文庫で出版された『狼なんか怖くない』も再読したのだが、こちらは戦後の民主主義教育に対する論考なども書かれている。
ここまで、批判的に書いてきて何だが、わたしは庄司薫が大好きだったし、今でも、そこそこ好きだ。
そして、こんな記事を見つけた。中村紘子さんがお亡くなりになったときの記事だ。
『バクの飼主をめざして』の中には、13年間可愛がっていた犬が死んでしまい、それ以来、犬は飼わないことに決めた(p.13)、と書いてあったのだが、2016年当時は犬と一緒に暮らしていたのだとわかり、なんだか嬉しくなった。人は変わる、そして犬はかわいい。
庄司薫は、軽やかだけれども、決して軽くはない文体が書ける稀有な人だ。この塩梅は、テクニックだけでは片づけられない何かがある。(軽くてペラペラな文体は、日々ネット記事で量産されている)
『赤頭巾ちゃん気をつけて』の四部作を読み返して、もう一度、考えてみたい。