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#映画感想文324『ピクニック at ハンギング・ロック』(1975)

映画『ピクニック at ハンギング・ロック(原題:Picnic at Hanging Rock)』(1975)を映画館で観てきた。

監督はピーター・ウィアー、脚本はクリフ・グリーン。

1975年製作、107分、オーストラリア映画。

寄宿学校の女子学生たちが岩山へピクニックに出かける。そのピクニックによって、三人の女子学生と一人の女性数学教師が忽然といなくなってしまう。この四人の捜索が物語の軸にある。その中で、学費を滞納している孤児の学生が追い出されたりと、女性の人生の限界とあきらめのようなものが描かれていく。孤児を追い出した残酷な校長が良心の呵責に苛まれる姿は何ともいえないものがあった。

映画冒頭に友人のコルセットの紐をひっぱりあげる描写がある。そして、一人だけ戻ってきた女子学生がコルセットを脱いでしまっていたことを世話係の女性が指摘する。つまり、コルセットは常に装着していなければならなかったことが示唆される。コルセットは何のために着るのか。一義的には腰を細く、スタイルをよく見せることで、男性のアクセサリーになるためだ。コルセットを脱ぐか脱がないか、その選択肢は彼女たちにあったのだろうか。

そして、ピクニックの途中、彼女たちが通り過ぎる様子を見た青年は、女性をあからさまに値踏みする。「あの金髪がいい。彼女は脚が細くていい」などと品定めをごく自然にやってのける。彼女たちは自分たちがモノのように品評されていることに気づいていないが、男がそれを習慣的にしていることは知っている。性的な視線にさらされていることを知らない女はいない。

目的がなく生きている人は何かの役割を果たすために存在しているのかもしれない、と失踪した女子学生はつぶやいていた。

わたしたちは、無意識のうちに、何らかの役割を図らずも果たしてしまっているのかもしれない。しかし、その役割を拒絶した女性がいた、という作品であったと思う。



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佐藤芽衣
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