#映画感想文344『ソルトバーン』(2023)
映画『ソルトバーン(原題:Saltburn)』を配信で観た。
監督・脚本はエメラルド・フェネル、出演はバリー・コーガン、ジェイコブ・エルロディ。製作にはマーゴット・ロビーも名を連ねている。
2023年製作、131分、アメリカ・イギリス合作。
舞台は2006年のイギリスのオックスフォード大学。オリヴァー(バリー・コーガン)は成績優秀で大学に入ったはずなのに、キャンパスにすんなり馴染めない。どうやら大学は貴族的な金持ち学生が牛耳っているらしい。言葉遣いにケチをつけられ、ファッションを馬鹿にされたりと気分の悪い日々が続く。
オリヴァーは一見、学内ヒエラルキーの最下層にいる弱者に見えるし、そこからの脱出を試みているようで、そうでもない。彼はただのいじめられっ子ではない。最もパワーを持っているフェリックス(ジェイコブ・エルロディ)を懐柔するため、あの手この手を使って近づいていく。そして、夏休みにソルトバーンという避暑地の屋敷に招待されることに成功する。オリヴァーの謀略は、もやがかかっており、見えるようで見えないがゆえに観客も翻弄されていく。
学内はもちろんのこと社会的強者でもあるフェリックスは背も高く容姿端麗で、貴族で金持ちで、女は誰でも彼と寝る。ユーモアもある秀才だが、どこか不全感も抱えており、おもちゃのような親友を作ったりもする。その親友を独占するけれど飽きたら捨ててしまう。オリヴァーはその親友に選ばれたのだが、それだけで尻尾を振って喜ぶようなたまではない。
オリヴァーは他人をコントロールするために、偽りの不幸な生い立ちを吹聴して他人が自分に興味を持つように仕向ける。馬鹿にされ同情されることも計算のうちに入っている。気に入られるためには、それとなく容姿を褒めてみたり、他人を貶すときに同調したり、あるときは同情したふりをして、相手を油断させて相手のふところに入っていく。フェリックスの姉にはセックスを使って近づいたが、フェリックス本人に性的なアプローチはしなかった。それはフェリックスが異性愛者であることが自明だったからであり、拒絶されることがわかっていたからなのだろう。
オリヴァーはフェリックスを愛していたし、同性愛的な欲望も抱いていたが、それが成就しないことがわかっていたからこそ、すべてを奪うことを選択した。オリヴァーの母親は「頭が良すぎて友達ができない子だった」と彼を評したが、あながち間違いではなかった。母親は偏差値的な意味で言ったのだが、彼は人間の支配と被支配の関係性、関係性の不均衡の反作用を利用できるという、動物的な勘の良さがあった。オリヴァーは容姿も良くないし、背も高くないし、カラオケもうまく歌えない。いじめられっ子のように見えるが、それをきちんと利用して、鹿威しのような大逆転を起こす。
ラストシーンは、ソルトバーンの屋敷を手に入れたオリヴァーが全裸で踊り狂うのだが、乗っ取りが完徹されたことを寿ぐシーンであり、見事だった。
イギリスの階級社会を破壊する異物をアイルランド系のバリー・コーガンが演じているという点でも興味深い。英国の避暑地のソルトバーンでも『リング』の貞子で大盛り上がりして、ハリー・ポッターが話題になったりしており、2006年って最近の話だと思ったが、そうでもないのかもしれないとも思った。ぎりぎりまだスマホのない、SNSのない時代だ。
また、オリヴァーはパーティーの仮装で頭に鹿の角をつけるのだが、これは明らかにヨルゴス・ランティモス監督の『聖なる鹿殺し』からの引用であり、あからさますぎて笑ってしまった。『エターナルズ』でのバリー・コーガンの役どころも、鹿殺しの系譜にあったと思うので、ヨルゴス・ランティモス監督作品の出演したことは、やはりバリー・コーガンのキャリアの転換点になったのだろう。(もう、バリー・コーガンが出てくるだけで、不穏な空気が流れるのだが最高だと思う)
エメラルド・フェネル監督の次回作は、エミリ・ブロンテの『嵐が丘』で、マーゴット・ロビーとジェイコブ・エルロディが主演するらしい。バリー・コーガンも出るかもしれないってさ。いやはや、劇場公開を楽しみにして生きていこう。というか、本作も配信動画じゃなくて、映画館で鑑賞したかった。