#読書感想文 柚木麻子(2020)『BUTTER』
柚木麻子の『BUTTER』、2020年の新潮文庫版を読んだ。単行本は2017年4月に出版されている。
韓国の翻訳家であるクォン・ナミのエッセイ『ひとりだから楽しい仕事』の中で、『BUTTER』を読み、日本に来た際、わざわざ娘さんと東京駅のエシレに行き、マドレーヌがすごくおいしかったというエピソードが書かれており、そこまで人を動かす小説なのかと興味を持ち、読み始めた。(話題作であることは知っていたのだけれど、木嶋佳苗にはそれほど惹かれず、手つかずであった)
週刊誌記者の町田里佳は、梶井真奈子の取材をするために面会を取り付ける。ワーカホリックな働く女性である里佳に対して、梶井はいろいろな指令を出していく。炊きたてのご飯にエシレの有塩バターにしょうゆをかけて食べろという。里佳は炊飯器を購入し、そのレシピとはいいがたい食べ方を実践する。梶井の目論見通り、里佳はそのおいしさにはまってしまう。
里佳が太ると、彼氏や親友が「太っちゃったね」と批判をしてくる。日本女性のほとんどは、痩せているし、スタイルがよく見える人は痩せすぎの状態である。いわゆるルッキズムの問題も本作では何度も触れられている。
また、里佳の父親はセルフネグレクトから孤独死をしていた。彼女は自分が見捨てたことで父親が死んだのではないかという罪の意識に苛まれると同時に、自分で自分の面倒も見られない男性の弱さを疎んじている。梶井真奈子は女は「男と競うな。彼らの世話をしてやれ、それが自然の摂理だ」と繰り返す。極右の家父長制主義者が大喜びしそうだが、梶井は太っていて、それほど美しくないので、男たちは彼女を馬鹿にして蔑む。梶井は男を転がしているつもりでいるが、梶井が殺した男たちの女性嫌悪も相当なものなのだ。
梶井の主張は、女は男を癒す存在であるべきで、女はそれを提供してなんぼなのだ、という。要するに、よき妻であれ、よき母親であれ、よき乳母であれ、よき家政婦であれ、よき娼婦であれ、というものだ。(現代はそれに加えて賃金労働も求められているので、まあ、控えめに言っても地獄である)
食べること、料理、ミソジニー、フェミニズム、ルッキズム、友情が、里香の仕事を軸に展開していく。それらの要素が著者の筆力によって、鮮やかに提示されるのは見事というほかない。
終盤の大団円はテレビ放送の新世紀エヴァンゲリオンの最終回の「おめでとう! おめでとう!」を想起してしまったが、結局、人は人とつながることでしか生きられない、という結論が導かれる。里香が分譲マンションを購入し、長生きをして、会社員として働き続ける決意も示される。
ただ、木嶋佳苗の闇はもっと深く、もっと果てない空洞が広がっているような気もする。もっと汚いこともたくさんあっただろう、と思う。それは、小説ではなく、ノンフィクションで確かめるしかなさそうだ。
わたしも、本作を読んでから、近所のスーパーのバター売り場をしげしげと覗いてみた。なんと、エシレのバターが売られているではないか! 30gで700円である。このバターを存分に楽しむには、高級トーストも準備しなければならないのではないか。梶井が嫌悪するマーガリンで別にいいや、と思ってしまった。(あと、死ぬ前にロブションにも行ってみたくなった笑)