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#映画感想文007『WAVES』(2019)

映画『WAVES(原題:Waves)』を映画館で観てきた。

監督・脚本がトレイ・エドワード・シュルツ、出演者はケルビン・ハリソン・Jr.、ルーカス・ヘッジズ、テイラー・ラッセル、アレクサ・デミー。

2019年製作、135分、アメリカ映画である。製作スタジオはA24。

オフィシャルの「従来のミュージカルとは一味違う<プレイリスト・ムービー>と呼べるだろう」という一文によって、この映画を見るべき人が避けてしまうのではないかと心配になった。(プレイリストって、なんか軽くない? 軽薄な感じがするじゃん)

なぜなら、私も、「どうせ、終わらない夏を遊んでいる小金持ちの若者たちのオシャレ青春映画だろう」と高を括っていたからである。ビバリーヒルズ青春白書の人種多様性担保バージョン、と勝手にポスターなどから判断していた。多少の痴情のもつれとか三角関係とかはあるんだろうけれど、と。いや、全然違った。重くて痛い映画であった。オシャレな気分になりたいなら、ほかの映画を見に行ったほうがいい。

なぜ、父親は息子に厳しく接するのか。それは黒人であることと無関係ではない。そういった要素が、すべて伏線として、映画の最初の結末に集約されていく。その手練手管の見事さに舌を巻く。(昨今の日本のフィクションはその辺があまい。個人が抱える問題のほとんどが、その社会に由来すること直視していなかったり、関連付ける描写が足りなかったり、ということが頻繁にある)

タイラー(ケルビン・ハリソン・Jr.)は、なに不自由のないミドルクラスの暮らしと青春に必要なすべてを持っていた。レスリング選手としての成功は大学進学や奨学金をもたらす。恋人のアレクシス(アレクサ・デミー)は愛とセックスを与えてくれる存在。満ち足りた青春が、一瞬で崩壊する。

水筒に入れたウォッカで、鎮痛剤を流し込むタイラーは明らかに破滅に向かっていた。彼にとって飲酒運転は日常茶飯事で、それだけの痛みを彼が抱えていたことがわかる。そのなかで、運転中の彼が、コンビニかドラッグストア前で、しゃがみこんだ黒人の青年が警官に取り囲まれる姿を目にするシーンもあった。アメリカ社会における中間層であるタイラーはそれに心を痛めたりはしていないように見える。彼は黒人であるがゆえの日常を背負わずに済んでいることが、このシーンからわかる。

水筒に何かを象徴させてはいないだろうけれど、水筒を使う、というのは生活習慣である。後半、父親が仕事中、カップからではなく、水筒で何かを飲むシーンが出てくる。息子は父親の日頃の習慣を真似していたのか、強いられていたのか、それはわからないが、ともに生活する親子ならではという描写で切なくなった。息子は、水筒を隠れ蓑として使っていたのだが。

また、物語の終盤、タイラーは、落ち着かない挙動と虚ろな目で、体を震わせながら、神に祈りを捧げようとする。あれも、父親からの贈り物(ある種の習慣)で、彼が知らず知らずのうちに受け取っていたものなのかもしれない。

後半の主人公は、エミリー(テイラー・ラッセル)という妹が背負うことになる。殺人犯の妹になって、高校に通い続ける彼女は非常に強い人間だと思う。

そして、彼女の顔がアップになるたび、肌の色が均一でないことが気になる自分に気が付く。普段、化粧をする女性であれば、下地をぬって、ファンデーションでカバーをして、最後にパウダーをはたいて、肌の色を均一化する。しかし、彼女はそういう小細工はしない。肌の色は、おそらくそのままで、すっぴんだ。よくよく考えれば、それは当たり前のことではないか。私たちはCGではない。人間なのだから、肌の色は一色ではない。彼女の表情の映し出されるたびに、美しいと思った。そう、人間は、補正せずとも、着飾らなくとも、そのままで十分に美しい。

(映画『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』を見たときも、三島由紀夫と東大の若者たちの生身の身体を感じ、美しいと感じた。どの横顔もきれいだった)

映像の美しさ、色の鮮やかさが際立っていて、『ムーンライト moonlight』に似ているなと思ったら、同じ製作スタジオのA24が作っていることがわかった。黒人の美しさを活写させたら、今彼らの右に出る者はいないのだろう。

月並みな結論にはなるが、人間は弱さを見せてもいい場所が誰しも必要なのだろう。そして、十代の少年が、女の子に対して責任は取りたくないが、執着はする、というのはよくわかる心理でもあった。愛されたいが、愛する準備はできていない。けれども、ほかの男のところにいくなんて絶対に許せない。

精神科医の斎藤環が『関係する女 所有する男』で指摘したとおりの世界である。女は関係性が維持できない、つまり、その相手とのコミュニケーションがまっとうに取れないとわかれば、その関係性は不要以外のなにものでもない。一方の男はそのことがイマイチ理解できない。そのうえ、女性は男性よりも切り替えが早い。それは身体と時間の連動性がよくわかっているからなのかもしれない。

タイラーは、自分の進路が閉ざされ、パニック状態で、正常な判断ができなくなっていた。自分が常軌を逸していると自覚し、他人に「助けてほしい」と言える訓練が人間には一番必要なのかもしれない。恋人のアレクシスが彼を容易に切ることができたのは、助けてくれると確信できる両親がいたからである。かくも、人にとって帰れる場所・安全地帯が重要なのだと思わされた。

エミリーとの釣りのシーンで父親が失うことへの恐怖から涙するシーンがある。所有することが幸福だと信じていた彼はそれを何よりも恐れているということである。息子に罵倒された母親は、息子を許して会いに行く。エミリーは目には見えない、家族の曖昧な紐帯をなんとか結びつけようとする。生きていくのは、なんとも大変なことだ。

(「My period」という表現も、テキストメッセージだと、何とも際立つ。彼らは「WhatsApp」などのアプリではなく、おそらく「iMessage」を使っていた。単にスポンサーとかの問題なのかもしれないが、テキストメッセージだけでよくない? という時代にいつ戻ってもおかしくない。情報漏洩個所を増やすのもバカバカしい。そんな時代の気分はすぐそこまで来ているような気がする)

海、泉、池、浴槽、太陽光の揺らぎ、音楽(振動)、人生、物語、すべては波である。

あまりにも痛い青春映画で、全然ポップではないけれど、人の弱さについてじっくり考えさせてくれる映画だった。

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