#映画感想文210『レイチェルの結婚』
映画『レイチェルの結婚(原題:Rachel Getting Married)』を観た。
監督はジョナサン・デミ、脚本はジェニー・ルメット、主演はアン・ハサウェイ。
2008年製作、112分、アメリカ映画。
以前、レンタルDVDか何かで観たと思うので、観るのは二回目だったのが、印象が大きく違っていることに驚いた。
主人公のキム(アン・ハサウェイ)は、薬物中毒者のための更生施設にいて、姉のレイチェルの結婚をきっかけに実家に戻る。
キム自身の問題も明らかになっていくのだが、本当に問題があったのは母親だったのではないか、という物語だ。
ちなみに、お姉さんと父親は忍耐強く、キムに向き合ってくれる、良い家族だ。母親は離婚して、再婚して、ほかの地域で暮らしている。
愛情が欠如した母親が恐怖であるといったレビューを耳にして、この映画を観たので、このお母さんは怖いなと思ったことを覚えている。
今回、観て感じたことは、このような愛情の薄い人、自分の子どもや他人にそこまで興味のない人というのは、男女問わず普通にいるよな、ということだった。
自分のキャリアが最優先で、子どもを蔑ろにする父親なんて山ほどいるし、それと同じようなことをする女性も当然いる。愛情深くない女性、特に母親は過剰に責められる。
もちろん、愛情たっぷりのお母さんは理想だが、それができない人だって中にはいる。子ども側も、母親の愛情は溢れんばかりであることを勝手に期待している。でも、そうではない人がいても、何ら不思議ではない。
時間が経過して、わたしのジェンダー規範がゆるくなったというよりは、親もどうしようもない一人の人間に過ぎない、という認識の変化が一因であると思う。また、愛情深くない、それほど優しくない女性を非難する文化に、うんざりしている、といったこともある。女性の優しさを女性の前提条件にしないでほしい。
もちろん、この映画の母親の判断は間違っていたのだけれど、結果的に間違ってしまったケースでもある。誰も責められないな、と今は思う。
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