#映画感想文347『花嫁はどこへ?』(2024)
映画『花嫁はどこへ?(原題:Laapataa Ladies)』(2023)を映画館で観てきた。
監督はキラン・ラオ、脚本はスネハ・デサイ、出演はプラティバー・ランター、ニターンシー・ゴーエル。
2024年製作、124分、インド映画。
ディーパクは結納を終え、妻のプールを連れて我が家に戻るため、混雑した列車に乗り込む。長距離の移動に疲れ果て寝こけていると地元の駅に到着。妻の手を取り、我が家に戻る。妻がベールを上げると、そこにいたのはなんと別人! というところから物語は始まる。
一方、列車に置き去りにされたプールは途方に暮れる。夫任せにしていたので、夫の名前はわかっているが、住んでいる村の名前すら曖昧でどこに向かえばいいのかすらわからない。(そんなことあるんかいな、とつっこんでしまった)
知らない男であるディーパクに手を引かれて、村まで来た女は何者なのか。この謎の女、ジャヤは結婚から逃げた花嫁であった。彼女はなぜ逃げているのか。インドの持参金、妻の扱われ方、家父長制の歪さが少しずつ見えてくる。
ジャヤは家父長制から逃れようとしている女性である。一方のプールは、結婚に否定的な感情は抱いていない。むしろ、ちょっと依頼心が強めの女性で、夫に頼りがいを求めている。駅で迷子になっている彼女を保護してくれたのは、駅のホームで軽食とチャイを販売して自活しているマンジュという女性である。彼女は「女は一人でも子どもを産んで育てられるし、農業も料理もできる。実はそんなに男がいらないんだよ」とあっけらかんと言う。プールは戸惑いながらも、結婚後は仕事をしなきゃと素直に誓う。
終盤、権力側の人物が、ジャヤの嘆きと主張に心を動かされ、大きく変化する。その痛快さは気持ちいいのだが、現実の女性たちは逃げ出しても家父長制に押し戻されるのではないか、という懸念がある。偶発的な善意に頼らず、社会的正義はデフォルトであってほしいと思った。