#映画感想文『テーラー 人生の仕立て屋』(2020)
『テーラー 人生の仕立て屋』を映画館で観てきた。監督はソニア・リザ・ケンターマンで、舞台はギリシャのアテネである。
近年のギリシャといえば、経済危機があり、EUが支援をしなかったため、国民の生活は相当に厳しかったはずである。
そんななか、紳士服の仕立て屋で食べていた父子は苦境に立たされる。銀行から借金の返済を迫られ、お父さんは病に倒れる。息子は収入を得るため、街に飛び出していく。
主人公のニコスは、何を考えているかわからない男として描かれる。頭は悪くないし、不気味でもないが、内面の吐露はしない。感情表現は非常に抑制的である。それが効果的で、おとぎ話にはならず、かといってリアリズムでもない不思議な物語が進んでいく。
この映画では、職人にもマーケティングが必要である、という商売の基本が描かれていく。
不景気に苦しむギリシャにおいて、スーツにお金をかけられる高所得の男性はそれほど多くない。そういったエスタブリッシュメントは、同じEU圏内のフランス、ドイツあたりで、金をがっぽり稼いでいるのかもしれない。彼らは、プラダやダンヒルで、スーツを買うのだろう。テーラーにオーダーして、3か月かけてスーツを作るような暇はない。というわけで、ニコス親子は時代から取り残されていることが、冒頭でわかる。
街に出たニコスは、女性たちが欲しがるもの、出せるお金といったものを学んでいく。顧客のニーズ(需要)と適正価格とはなんぞや、という基本的なものだ。
客とやりとりしていくうちに、ウェディングドレスに需要があることがわかっていく。ニコスは客のオーダーに合わせて、ドレスを作る。おそらく、ギリシャの一般市民は、スーツは既製品で済ませればいいと考えている。しかし、結婚式は一生に一度の晴れ舞台であり、ウェディングドレスは、お金をかける価値のあるものなのだ。そのうえ、ぴったりなドレスはなかなかない。小柄な人もいれば、ふくよかな人もいる。オーダーメイドに、もってこいだということがわかっていく。
ニコスは臨機応変で、お金にこだわらず、全額を払えない人たちからは物をもらうことで、支払いOKにしていく。これがギリシャの現実なのかもしれない。確かに、サービスの対価が野菜や薬であっても、何も問題はない。
時代とともに変化しなければならないこと、そして、顧客の声に耳を傾けることの重要性を説いている映画であったと思う。
ラストの海辺の道を走るニコスは晴れ晴れとした表情で、精神的にも解放されているように見えた。
わたしたちは生きていく。生きていくために、変化を受け入れ、働き続ける。至極シンプルなメッセージに、とても励まされた。