#映画感想文188『ドリーム』(2016)
映画『ドリーム(原題:Hidden Figures)』を観た。
監督・脚本はセオドア・メルフィ、主演はタラジ・P・ヘンソン、そのほかにオクタビア・スペンサー、ジャネール・モネイ、ケビン・コスナー、キルスティン・ダンスト、マハーシャラ・アリといった豪華なキャストが揃っている。
(宇宙飛行士ジョン・グレンを演じているのは『トップガン マーヴェリック』でもパイロットを演じていたグレン・パウエルで驚いた。)
2016年製作の127分のアメリカ映画である。
公開当時、『ドリーム 私たちのアポロ計画』という邦題が物議を醸していた。この映画はアポロ計画ではなく、マーキュリー計画を扱ったものであるし、そもそも『ドリーム』というタイトルが見当違いではないかという指摘もあった。原題の『Hidden figures』はダブルミーニングで、「隠された数字」「知られていない人物」という意味があるらしい。主人公の仕事は計算であり、誰もが知っている人物ではない、という意味では原題の方がしっくりくる。
1962年のNASAのプロジェクトである有人地球周回軌道にまつわるお話である。NASAで働くキャサリン、ドロシー、メアリーの三人は能力はあるものの、黒人差別が当然という空気の中で互いを励ましながら働いていた。
キャサリンには天才的な数学の才能があり、検算などを担当していた。有人飛行である場合、宇宙での失敗は、死と同義である。この映画の途中で、IBMのコンピューターが導入されるのだが、それまでは全部人間が計算をやっていたのだ。そんな当たり前のことにも今更ながらに驚く。そして、ソ連との技術競争もあり、国の威信をかけた、ナショナリスティックなプロジェクトでもあった。よく宇宙開発の技術は戦争の技術であり、戦争の技術は医療技術に転用されると言われる。(イスラエルの医療技術が高度であることは常に戦争に備えているからなのだと言われている)
そんな国家的なプロジェクトに関わっているにもかかわらず、彼女たちはどこかビクビクしながら、おっかなびっくり働いている。いつ解雇されてもおかしくないし、日々の差別に気が滅入る。そんな世界で、三人は三人を支えるようにして働いている。まず、その友情にほっとする。そして、彼女たちは少しずつ道を切り開いていく。危なっかしいと感じてしまうシーンもあったが、職場にはNASAだからこその矜持もあり、悲惨なことは起こらなかったが、常に緊張感がある。白人女性たちも、女性差別はあるものの、それを声高に言うこともできず、とはいえ黒人女性に対してフレンドリーに接するほどリベラルではない、という絶妙な立ち位置で、キルスティン(トビー・マグワイア版スパイダーマンのMJ役)も大人になったなあ、と思った。
脚本がパーフェクトなのはもちろんのこと、わたしはこの映画を映画館で観なかったことを後悔した。
すべてのシーンが美しい。空の色がきれい、車や服の色使いが鮮やか。そして、音楽が素晴らしい。音楽はファレル・ウィリアムスも担当している。
この作品は、「トイレ、計算、そしてコーヒー」の三つの言葉にまとめることができる、と思う。
白人専用のトイレはない。なぜなら、白人が基本であるから、普通のトイレは白人用なのだ。マイノリティ専用であることを示す有色人種用のトイレはある。800m先の別棟のトイレに走っていくキャサリンは、紙の束を抱え、隙間時間に計算をする。後ろに流れる音楽は軽快でコミカルなのだが、実のところ、彼女は必死に仕事をしている。そのギャップが切なくなってくる。それに職場におけるトイレって大事だ。汚かったり古いトイレだと、トイレに行くこと自体を我慢してしまったりする。
キャサリンは重用されるものの、重要人物としては扱ってもらえない。そこには人種差別と性差別が混じり合っているのだが、彼女は自分自身の仕事で、自分の価値を認めさせる。そのことにじわりと感動する。
誰が誰のためにコーヒーを淹れるのか。人間関係の変化が象徴的に描かれたラストは、さりげないが、とても美しかった。