#映画感想文221『ワース 命の値段』(2019)
映画『ワース 命の値段(原題:Worth)』(2019)を映画館で観てきた。
監督はサラ・コランジェロ、脚本はマックス・ボレンスタイン、主演はマイケル・キートン。
2019年製作、118分、アメリカ映画。
弁護士のケン・ファインバーグ(マイケル・キートン)が、2011年9月11日のアメリカ同時多発テロ被害者の補償基金プログラムの管理責任者を無償で引き受けるところから、物語はスタートする。
この基金は、被害者遺族による政府や航空会社に対する提訴を避けるために作られ、みんなに補償金を分配するのが彼の仕事だった。
当初、ファインバーグは、補償金の計算を数式で一律に効率よくやっていこうとする。ルールに基づき、公平に進めようとした。しかし、それが遺族の反発を買うことになる。
「娘の命は投資で金を動かしていたCEOよりも、価値がないって言うのか」と。
ケンの「効率よく仕事しようぜ!」という気持ちもわかる。一人一人に対応していたら、キリがない。しかし、一人一人抱えている背景は異なる。突然の悲劇に見舞われた人々を十把一絡げに扱えば、自分が尊重されていないと感じて、心を閉ざしてしまう。
遺族の切実な悲しみに、やり手の弁護士が気が付き、反省し、仕事のやり方を変える姿が描かれている。
年を取ってから、自分の信条ややり方を変えるのは難しかったはずだ。しかし、彼は目標を達成させるために、「自分」を変える方を選ぶ。
真摯に仕事をすることの大切さも、メッセージのひとつだったと思う。そして、9.11をきっかけに家族の知りたくないことも知ることになってしまった遺族もおり、一筋縄ではいかないケースもあった。また、同性愛者の恋人には補償金が支払われず、不仲だった両親への支払いしかなかったケースもあった。
法律とは一律に公平に物事を判断するために存在しているのだが、世の中には例外的なケースがやまほどある。百戦錬磨のケンはそのことが痛いほどわかっていたからこそ、機械的に処理しようとしたのだが、それが遺族を怒らせてしまう。人間は複雑だ。金銭の詐取を目論む犯罪者集団もいるが、自分が納得できなければ、そんな金いらない、と言える高潔さもある。
いやはや、「お金」はいつも難しい。そして、仕事をするとき、効率ばかり追い求めて人の感情を無視すると大失敗する、という教訓的な作品でもあった。