#映画感想文195『あのこと』(2021)
映画『あのこと(原題:L'evenemen)』を映画館で観てきた。
監督・脚本がオドレイ・ディワン、主演はアナマリア・バルトロメイ。
2021年製作、100分のフランス映画である。
2022年にノーベル文学賞を受賞したアニー・エルノーの『事件』という小説が原作である。原題を翻訳すると、その出来事といった意味のようである。
何とも痛い映画で、直視することができず、何度も目を伏せてしまった。「あのこと」とは中絶を指す。1960年代のフランスでは中絶は禁止されており、中絶手術をした医者は刑務所行きだったらしい。
労働者階級の家に生まれたアンヌは、聡明で成績優秀だったが、予期せぬ妊娠をしてしまう。この映画は中絶するために彼女が東奔西走する話なのである。流れゆく時間が、ここまで重くのしかかってくる作品をわたしは知らない。
わたしは日々を何気なく過ごしている。体調が悪いとか、老けたなとか、太ったなとかを繰り返している分には、時間の積算を強く実感することはない。一方、妊婦は違う。止まらない食欲、嘔吐、出てくる腹、週ごとに学業にも集中できなくなっていく。時が流れるほどに、中絶のタイミングが失われる、という恐怖がある。
とはいえ、掻爬法(そうはほう)という古い中絶手術が今も行われている日本から見ると、彼女の身に起きた出来事がそれほど遠い昔のことだとは思えない。映画『セイント・フランシス』では、薬を飲むだけで、中絶が終わる。主人公が後日不正出血に悩まされてはいたが、手術するより身体へのダメージは少ないだろうと思わされた。
妊娠を知った彼女が思わず叫んだ「不公平よ」の言葉にうなずく。そうそう、不公平なのよ。
また、BGMはほとんどなく、自然の音、生活の音が響く。きっと、時間と相対する人間は音楽を聴いて、気を紛らわすことすらできないのだ。身体というものの、ままならなさ、離れていく周囲、落ちる成績と、アンヌにいいことは一つも起こらない。
女性の身体と妊娠当事者の焦燥感が描かれており、ある種のスリラーでもあるのだが、不思議と最後までじっくり見ることができた。こういう物語はこれまでにも溢れていたのだと思うが、スポットライトが当たることがなかった。それもやはり、女性の自己決定権を認めない父権社会(家父長制)であることと無関係ではないのだろう。