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#映画感想文275『君は行く先を知らない』(2021)

映画『君は行く先を知らない(原題:Hit the Road)』を映画館で観てきた。

監督・脚本はパナー・パナヒ、出演はモハマド・ハッサン・マージュニ、パンテア・パナヒハ、ラヤン・サルラク、アミン・シミアル。

2021年製作、93分、イラン映画。

4人の家族が三菱の車に乗って、どこかに向かっているが、行く先の説明はない。両親と長男の三人はわかっているようだが、次男はよくわかっていない。

父親は足を骨折してギブスをして松葉杖をついている。運転係の20歳ぐらいの長男の表情は常に暗い。母親は明るく振る舞いながらも、時々陰鬱な表情を浮かべる。観客にも、彼らの行き先は知らされず、ストーリーは進んでいくため、次男である8歳ぐらいの少年と同じ立場となって、この旅の行く末を見守ることになる。

徐々に20歳の青年だけがどこかに行くことが予定されていることがわかってくる。母親と長男はかなり感傷的な気持ちになっている。

父親は、足が不自由ながらも、このミッションを完遂させるため、淡々としている。ただ、骨折しているため先頭に立って、バリバリ仕切れるわけではない。(妻からも本当に骨折をしているのか否かを疑われているシーンはどう解釈すればいいのか、実のところ、よくわからなかった。怪我人を装うことで、長男を国外に逃亡させようとする家族には見えないだろう、という算段があったのだろうか)また、父親がスマートフォンを持っていることから、それほど昔の話ではないこともわかる。父親はSIMカードを抜き差ししながら誰かと連絡をとっており、息子が国外に出るための手筈を整えていることをわかっていく。

次男は、何もわからず、急な旅に戸惑いながらも、はしゃいでいる。どこにでもいる、元気でお調子者の少年は何とも愛らしい。スーパーマンよりバットマンが大好き。近所の女の子と結婚の約束まで済ませている。父親も「あの子程度なら、おまえにちょうどいい」という超絶失礼なことを平然と言う。この家族の会話は軽快で、皮肉っぽい面もあるが、その向こうに別れの予感を内包している。

車を停めて、休憩で立ち寄った店のベンチに母親と長男が腰をかける。長男は『2001年宇宙の旅』がお気に入りの映画であることを述べ、「まるで禅のようだ」と話していた。

(『バービー』の冒頭でも引用されていたので、この機会にと思って、帰宅後配信で観たが、すぐに寝てしまった。禅のような睡眠導入剤映画だった。いずれ何とか最後まで見たいと思っている。『惑星ソラリス』も何度見ても寝てしまう宇宙映画である)

そして、四人家族はとある村に到着し、長男は隔離されることになる。手筈が整い、家族が離れ離れになる。そして、家族を国外逃亡させようとしている家族たちが、キャンプ場のようなところで一晩を過ごしている。脱出を試みているのは、彼らに限ったことではなかった。

真夜中のキャンプ場で、父親と次男は無数の星を眺めながら、宇宙とつながる。連れてきた老犬はかなり苦しんでいるが、何とか最後の命を燃やしている。この犬は、感染症の末期症状に苦しみ、本来は安楽死させるべきだったのだが、父親がそれをできずに連れてきてしまった犬である。このことから、不愛想な父親が殺生の決断ができず、愛情深い人であることはわかる。長男に対して皮肉っぽい言葉をかけながらも、静かに長男の未来を案じている父親でもある。一方の母親は悲嘆に暮れている。

長男を無事に国外逃亡をあっせんする業者に任せ、親子3人で来た道を戻る。まもなく老犬が亡くなり、砂漠に埋めて、再び車が走り出す。

家族が離れ離れになる端緒を描いた作品であるが、不思議と悲壮感はなかった。家族の会話の軽妙さ、父親と丁々発止でしゃべれる次男が何とも愛らしい。結末は切ないが、政治体制には言及することなく、彼らの行動によって政治批判が象徴的に描かれており、そこも見事だったと思う。

途中、何度も、イランの演歌っぽいポップスが流れる演出もあって、「これは何なのだろう」と思っていたのだが、西森路代さんがリアルサウンドの記事の中で言及されていたので、引用する。

これらの場面で使われている曲は、革命以前からあるヒット曲だ。監督のインタビューによると、革命後、海外に逃げなければならなかったアーティストたちによって歌われたもので、政権はこれらの曲を使用するのを嫌がるのだという。

https://realsound.jp/movie/2023/08/post-1409706_2.html

愛する長男を国外逃亡させた両親だって、長男が逃亡先でうまくやれるとは、成功できるとは思っていない。ただ、この国にいてもジリ貧であるという絶望が彼らを突き動かしている。長男がたどり着く場所を、次男だけでなく、誰も知らない。

ただ、この家族には無垢な「祈り」がある。何もわかっていない次男は母親にたしなめられながらも、何度も大地にキスをして神に祈りを捧げる。信心深さと政治体制を信任するかどうかは、まったく別の話であることもよくわかる。

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