#映画感想文197『ルイス・ウェイン 生涯愛した妻とネコ』(2021)
映画『ルイス・ウェイン 生涯愛した妻とネコ(原題:The Electrical Life of Louis Wain)』を映画館で観てきた。
監督・脚本がウィル・シャープ、画家ルイス・ウェインを演じるのはベネディクト・カンバーバッチ、妻のエミリー役はクレア・フォイ、2021年製作、111分のイギリス映画である。
わたしはルイス・ウェインを知らなかった。でも、これはおそらく正しくない。これまでどこかで、彼の猫のイラストを目にしているはずなのだが、作者を意識していなかったのだろう、と思う。
上流階級の一家の長男であるルイスは、母親と四人の妹を支える一家の大黒柱でもある。当時の上流階級の女性に働くという選択肢はなく、嫁ぐことがゴールである。しかし、経済的に支えてくれる父親のいない女性たちは着飾ることも、社交界に出向くこともできず、反対にどんどん結婚から遠ざかってしまう、という厳しい現実に直面している。
ルイスは絵がうまくイラストを描いて収入を得ていたが、原題にもあるように電気や科学にも興味を持っている人であり、結婚や恋愛などとは向き合っていない人だった。(彼の言う電気とは、電気が閃きをもたらす、といったようなもので、若干オカルトチックであるが、1859年生まれのコナン・ドイルとかもオカルト好きだったので、そういう時代だったのだと思われる。ちなみにルイスは1860年生まれで同時代人だ)
四姉妹の住み込み家庭教師として雇われたのがエミリーで、ルイスはエミリーに一目惚れしてしまう。ただ、彼自身はそのことをはっきりわかっていない。ただ、夕飯のとき、じっと見られていることにエミリーは気付く。二人は徐々に近づいていくのだが、それは一方的な恋慕ではなく、まさに馬が合う、といった感じであった。エミリーもちょっと変わり者であり、人目を気にして、自分の行動を制限するような人間ではない。ソウルメイトに出会えたことを寿いで、二人は勢いよく結婚してしまう。しかし、上流階級が労働者階級と結婚するのは御法度だったらしく、二人の婚姻によって四姉妹の結婚はさらに遠のく。ルイスは家族に頼りにされながらも、一時的には家族と絶縁状態となる。
ただ、ルイスとエミリーの結婚期間はごくわずかなのだ。半年の新婚生活は平穏に過ぎたが、その直後、エミリーは末期の乳癌であることがわかり、亡くなってしまう。エミリーの登場は、物語の一部であり、彼女を失ったあとのルイスの人生はとても長い。晩年の彼は統合失調症を患う。
エミリーと暮らす日々の中で、ルイスは猫をモチーフにすることを発見する。彼はコミカルに擬人化して猫を描く。それは当時、登場したばかりの「写真」にもできないことだった。ただ、彼は出版契約や著作権契約がちゃんとできておらず、本来であればもっと経済的成功も収められたはずだったのだと思われる。
つぶやき記事でも書いたのだが、久々にびっくりするほど泣いてしまった。自分に何かが欠けていることはわかっているのだが、それを埋めてくれる誰かに出会えるとは二人とも予測していなかった。自分の不安や弱い部分を受け止めてくれる誰かがいることを双方とも知らなかったので、出会えたことに驚き、子どものように素直に喜ぶ。わたしは男女特有の親密さや性愛的な側面よりも、このような魂が呼び合うような関係性の作品にとても弱い。それは、そのようなことは滅多に起こらず、ほぼ奇跡だからなのだ。
ルイスは「君と出会えたから、(君がいるから)世界は美しくなった」のだと泣きながら言う。病床に伏すエミリーは「世界はもともと美しかった。あなたがそれを教えてくれた」と述べる。この相互補完的な関係性に憧れと同時に恐怖を感じる。こんな人と会うことは二度とないのだ。失えば、次はない。「この人だ」という人に出会えれば、これまでの人生の辻褄がすべて合い、過去の嫌な出来事すら肯定できるようになる、という表現も聞いたことがある。この二人はそのような関係だったのだと思われる。
エミリーを亡くしたあと、ルイスは悲嘆に暮れ、人生のバランスを失っていく。ルイスは喪失感に苛まれる。もしかしたら、お見合いで上流階級の人と結婚していたら、彼は愛を知らず、猫の絵を描くこともなかったかもしれないが、そこまで不幸にはならなかったのではないか。どちらの人生がよかったのか、それはわからない。10代の頃は有名であること、他者に影響を与えられる人生に価値があると信じて疑わなかったが、今はそうでもない。精神的に安定した平穏な日々を送れる方がよほどよい気がする。
そして、わたしは泣きながら、この記事を書いている。映画ってのは、できがよいから感動するわけでもない。この映画の中にある「悲しみ」に強く惹きつけられる。喪失を受け止めきれないことを隠して生きている人がこの世にはたくさんいるのではないか。そのことにも苦しさを感じる。
監督のウィル・シャープは8歳まで日本で育ち、ロンバケや古畑任三郎、スマスマなどフジテレビ全盛期当時の番組をよく見ていたらしい(笑)見てきたものが同じだから、まったく意識できていないわたしのツボが押されてしまっている可能性も否めない。
一番驚いたのは、ベネディクト・カンバーバッチの御指名で監督を務めたということだ。それもすごいし、カンバーバッチって、監督の指名ができるぐらい大物なのだ、ということを知った。