【勝手に現代語訳】三遊亭円朝作『怪談牡丹灯籠』第3話(全22話)
三
さて、飯島様のお邸の方では、妾のお國が腹一杯のわがままを働くうちに、草履取りの孝助を抱え入れました。孝助は、年頃二十一、二にて、色白の綺麗な男ぶりです。三月二十二日、お非番の平左衞門様が庭先へ出て、あちらこちらを眺めているとき、この新参の孝助を見かけ、声をかけました。
「これこれ、手前は孝助と申すか」
「へい、殿様、御機嫌はいかがですか。わたくしは孝助と申す新参者でございます」
「おまえは、新参者でも蔭日向なく、よく働くといって、だいぶ評判がよく、みなの受けがよいぞ。年頃は二十一、二と見えるが、人柄といい男ぶりといい草履取りには惜しいものだな」
「殿様は、このあいだ、ご体調が悪そうにお見受けしましたので、案じておりましたが、さしたることもございませんか」
「おお、よくぞ、尋ねてくれた。別にさしたることもなかったのだ。それで、手前は今までどこへ奉公したことがあるのだ」
「へい、ただいままで、方々で奉公をいたしました。まず、一番先に四谷の金物屋に一年ほどおりまして、働き始めました。それから新橋の鍜冶屋、三月ほどが過ぎて、次は仲通りの絵草紙屋へ参りましたが、十日でほかへ」
「そんな風に仕事に飽きては、奉公はできないぞ」
「いえ、わたくしが飽きっぽいのではございません。わたくしは、どうにかして武家奉公がいたしたく、叔父に頼んだのです。しかし、叔父は、武家奉公は面倒だから町家へ行けと申しまして、あちらこちら奉公にやりますから、わたくしもあてこすりで、逃げてやったのです」
「窮屈な武家奉公をしたいというのは、どういうわけなんだ」
「へい、わたくしは武家奉公をして、剣術を覚えたいのです」
「はて、剣術が好きと」
「へい、番町の栗橋様から、御当家様は、真影の御名人であると承りました。ゆえに、どうにかして、御両家のうちへ御奉公に上がりたいと思っていたところ、やっとの思いで、こちらへ召し抱えていただけることになり、願いが叶いました。ありがとうございます。どうぞ、殿様のお暇なときには、少しずつでもお稽古をしていただければと存じまして参りました。こちらさまに若様でもいらっしゃるなら、若様のお守りをしながら、お稽古されるのをおそばで拝見するだけでも、型ぐらいは覚えられましょう、と考えておりました。ところが、若様はいらっしゃらず、お嬢様は柳島の御別荘にいらっしゃいまして、お年はお十七とのこと。これが若様なれば、よほどよかったのですが、お武家様にお嬢様は何の役にも立ちませんね。クソったれでございますな」
「ははは、遠慮のない奴だ。これは本当にその通りだ。武家に女は実にクソったれだのう」
「うっかり、とんでもないことを申し上げてしまいました。お気に障りましたら、御勘弁を願います。どうぞ、ただいま、お願い申し上げた通りお暇なときには剣術の稽古を願いたいのです」
「このほどは、仕事が変わってから稽古場もなく、誠に仕事は多いのだが、暇なときには、できる限り教えてやる。手前の叔父はどんな商売をしているんだ」
「へい、あれは本当の叔父ではございません。親父の店受、つまり身元保証人のようなもので、ちょっと間に合わせの叔父でございます」
「何だ、おふくろはいくつになるのだ」
「おふくろはわたくしが四つのとき、わたくしを置き去りにして、越後の国へ行ってしまったそうです」
「そうか、だいぶ不人情な女だな」
「いえ、そうなったのは、親父の身持ちが悪く、愛想を尽かしてのことでございます」
「親父はまだ生きているのか」
すると、孝助はうなだれて涙を流しながら言います。
「親父も亡くなりました。わたくしには兄弟も親類もございませんゆえ、誰も育てる者もないところから、店受の安兵衞さんに引き取られ、四つのときから養育を受けました。今では叔父分となり、このように御当家様へ御奉公に参りました。どうぞ、いつまでもお目をかけてくださいませ」
孝助の瞳からは、はらはらと涙が落ちます。飯島平左衞門様もしきりに瞬きをしました。
「感心な奴だ。手前ぐらいの年頃は親の命日さえ知らずに暮らすものだというのに。『親は?』と聞かれて涙を流すとは、親孝行な奴じゃ。親父が亡くなったのは近頃のことか」
「親父が亡くなりましたのは、わたくしが四つのときでございます」
「それでは両親の顔も知るまい」
「へい、ちっとも存じません。わたくしの十一歳の時にはじめて、店受の叔父からおふくろと親父のことを聞きました」
「親父はどうして亡くなったんだ」
「へい、斬り殺されて」
孝助は言いさして、わっと泣き沈みました。
「それは、また、いかがの間違いで、とんでもないことであったのう」
「さようでございます。ただいまより、十八年前、本郷三丁目の藤村屋新兵衞という刀屋の前で斬られました」
「それは何月何日のことだ」
「へい、四月十一日だったそうです」
「して、手前の親父はなんと申す者だ」
「元は小出様の御家来にて、お馬廻の役を勤め、百五十石を頂戴した黒川孝蔵と申しました」
そう言われて飯島平左衞門はギクリと胸にこたえ、驚きました。指折り数えれば十八年以前の諍いの間違いから、手に掛けたはこの孝助の実父であったのか。俺が実父の仇とも知らず奉公に来たかと思えば、なんとなく心悪く思いましたが、素知らぬ顔をして言います。
「それは、さぞ残念だったな」
「へい、親父の敵討ちがしたいと思いますが、何を申しますにも相手は立派なお侍様でございますから、どういたしても剣術を知らないようでは、親の仇討ちはできません。十一歳の時から今日まで剣術を覚えたいと、ずっと心の中にありました。ようやく、御当家様に参りまして、誠に嬉しゅうございます。これからは剣術を教えていただき、覚えました上は、それこそ死にもの狂いになって親の敵を討ちます。どうか、剣術を教えてくださいませ」
「孝心な者じゃ。教えてやるが手前は親の敵を討つというが、敵の面体を知らんでいて、相手は立派な剣術使いで、もし今俺が手前の敵だと言って、みすみす鼻の先へ敵が出たら、そとき、手前はどうする」
「困りますな。みすみす鼻の先へ仇が出れば仕方がございませんから、立派な侍でも何でも構いません。飛びついて、喉笛でも食いちぎってやります」
「気性の荒い奴だ。心配するな。もし、仇がわかったそのときは、この飯島が助太刀をして仇をきっと討たせてやる。心身をいたわって、奉公をしろ」
「殿様、本当にあなた様が助太刀をしてくださいますか。ありがたく存じます。殿様がお助太刀をしてくだされば、仇の十人ぐらいは出て参りましても大丈夫です。ああ、ありがとうございます。ありがとうございます」
「俺が助太刀をしてやるのがそれほどまでに嬉しいか。可愛い奴だ」
孝助の思いに、飯島平左衞門は孝心を感じました。そして、機会を見て自ら孝助の仇であると名乗り出て、討たれてやろう。それを常に心に留めておこうと決意しました。
◆場面と登場人物
・飯島平左衛門(飯島平太郎)…飯島家の主人。殿様。剣術の達人で、18年前に黒川孝蔵を斬り殺したという過去がある
・孝助…飯島家の草履取り。飯島に斬り殺された黒川孝蔵の息子。天涯孤独で飯島家に奉公に来ている
◆感想と解説
第1話では、若かりし頃の飯島平左衛門が、黒川孝蔵という侍に絡まれ、因縁を付けられ、ぶち切れて、斬り殺してしまう。第2話では、飯島平左衛門の娘であるお露と萩原新三郎の出会いが描かれている。
長編であるにも関わらず、父親である飯島平左衛門と娘のお露のやりとりは描かれない。この父と娘のつながりは、とても薄い。ただ、この父側の物語と娘側の物語が絡まり合いながら進むのが『牡丹灯籠』の醍醐味である。しかし、二人は血縁はあるものの、父と娘としての交流がどんなものであったかは、読み手にはわからない。
その理由を推測するに、お露の物語は中国の怪談の『剪灯新話』がベースであり、飯島平左衛門側の物語は、江戸時代ならではの因果応報の物語であり、ある種、独立した物語を並行で走らせている。しかし、この物語は、ちゃんとつながる。父親も娘もいないところで、つながっていく。第3話に登場する孝助が、真の主人公なのである。
それを念頭に置きつつ、読み進めてくださいまし。
第4話につづく。