#映画感想文248『怪物』(2023)
映画『怪物』(2023)を映画館で観てきた。
監督は是枝裕和、脚本は坂元裕二、出演は安藤サクラ、永山瑛太、黒川想矢、柊木陽太、角田晃広、中村獅童、田中裕子。
2023年製作、125分、日本映画。
本作は三部構成で、まず麦野早織(安藤サクラ)の視点で進む。
麦野早織はシングルマザーで、小学五年生の麦野湊を育てている。ここのところ、息子の様子がおかしい。突然、自分で髪を切ったり、水筒の中に泥が入っていたり、怪我をして帰って来たり、学校に行きたがらなかったりする。
学校でイジメられているのではないか。担任の保利道敏(永山瑛太)による体罰ではないか。早織は何度も学校に乗り込み、学校側に調査を求めるも、形式的な謝罪のみで、意志疎通すら難しい。彼女は弁護士を雇い、この事件は週刊誌にまで取り上げられてしまう。
第二部は、麦野湊の担任である保利道敏の視点で進む。保利道敏が日曜日の夕方、恋人と駅前を歩いていると、雑居ビルで火事が起きている。野次馬の中には小学生の子どもたちもいて、保利は早く帰れと促しているだけなのに、その姿がSNSで中継され、拡散される。とんだ濡れ衣なのだが、保護者や教員のあいだでもガールズバー(キャバクラ)通いしていたことになってしまう。
麦野湊のクラスでは、星川依里へのいじめが常態化しているのだが、保利は察しが悪く、その根本を解決できずにいる。子どもたちは、いじめに関わらないようにしながらも、傍観者にもなりきれず、誰もがいじめに加担しているような状態にある。あるとき、麦野湊は保利先生に殴られたと嘘をつく。手が鼻に触れてしまっただけなのに。保利は徐々に追いつめられていく。退職に追い込まれた保利が自宅に持ち帰っていた作文をふと眺める。そして、星川依里の作文に隠されていた暗号に気が付き、麦野湊の自宅に向かう。そこに麦野湊はおらず、母親が出てくる。敵対していたはずの麦野早織と保利は台風の中、二人で子どもたちの秘密基地へと向かう。
第三部は、麦野湊と星川依里の二人の視点でこれまでの謎が解き明かされていく。二人は互いに惹かれあっているものの、星川依里はイジメられている。仲が良いことも、恋愛感情も、クラスメイトに知られてはならない。その葛藤によって、麦野湊は担任の保利をスケープゴートにしてしまったのだ。
台風が過ぎ去り、二人は秘密基地の外に出て走り回る。「生まれ変わってなんかいない。そのままだ」という二人の会話が何とも、物悲しい。
本作の登場人物は、普通の人なのだが、怪物的な一面を誰もが持っている。
麦野早織は愛情深い母親だ。死んだ夫の誕生日にケーキを買って祝っているが、夫は不倫相手と事故死したことが湊の口から語られる。彼女は本当に夫を愛していたのだろうか。憎んですらいたのではないか。それでも、生命保険によって一軒家とお金、そして息子を残してくれたから、夫を父親扱いしているだけなのではいないか。
小学校の校長の伏見真木子(田中裕子)は、小学校を守ることに必死だ。駐車場で孫を誤って轢いてしまい、夫が警察に出頭したのだが、実は校長が犯人なのではないかと疑われている。真相はわからないが、スーパーで駆け回る子どもに足を引っかけて転ばせたりするシーンもあり、彼女が本当に子ども好きであるとは思えない。彼女は孫をわざと殺したのではないか、という疑念すらわいてくる。そして、彼女は湊に語るのだ。「誰かにしか手に入らないものなんて幸せじゃない。誰でも手に入るもので幸せになるんだよ」と。特別な幸せなど長持ちしない、ということなのだろう。
星川依里の父親(中村獅童)は、自分の息子に「おまえの頭には豚の脳が詰まっている」と言ってみたり、真昼間からストロングゼロを飲みながら、初対面の担任の保利に出身大学を尋ねる。どう見ても狂っている。
そして、星川依里は父親から虐待を受けており、同性愛的な傾向を咎められていた。そんな父親に復讐するかのように、父親が足繁く通っていたガールズバーの入るを雑居ビルをチャッカマンで放火した。星川依里は、教室と家庭の中においては被害者なのだが、怪物でもある。
「普通」でいることを強要されたり、同調圧力によって、人間は壊れてしまうのかもしれない。そして、自分と誰かを守るために嘘をつきはじめると、真実は見えなくなり、こんがらがって、誰にもほどくことができなくなる。
蛇足になるが、安藤サクラは、またクリーニング屋で働いていたし、生まれ変わりの話で『ブラッシュアップライフ』を思い出してしまった。
脚本家の坂元裕二はストーリーテラーではないと思う。ただ、彼の台詞と、登場人物たちの機微の描き方は当代随一であることは間違いない。それを十二分に楽しめる映画だった。
「カリフォルニアみたいになっちゃうよ」という湊の言葉に思わず笑ってしまったのだが、映画館で笑っていたのはわたしだけだったような気がする。