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歌舞伎名作撰『一本刀土俵入』
友人から借りて鑑賞。自分でも買っていたのをすっかり忘れていた。
長谷川伸の数多い戯曲の中でも代表作に揚げられる名作。六世尾上菊五郎の茂兵衛、夭逝した五世中村福助のお蔦で初演された。本作はその福助の50年祭追善狂言として上演されたもので、定評のあった十七世中村勘三郎の茂兵衛と福助の弟・六世中村歌右衛門がお蔦を演じ、見る者すべてが涙したと言われる名舞台。
と、DVDは紹介帯にはあるものの、自分はなぜか泣けなかった。え?と思って2度観たのだが、それでも同じ。ここではその理由について少し考えてみたい。暴論になるかもしれないが、個人の感想ということで是非お許しいただきたい。
あらすじ
破門され、困窮していた取的(現在の力士養成員に該当する、関取見習いの力士)の駒形茂兵衛は、酌婦のお蔦に金品を恵んでもらう。10年後、博徒となった茂兵衛はお蔦の窮地を救い、恩義に報いるというストーリーである。幕引き前のセリフ「しがねえ姿の、横綱の土俵入りでござんす」は特によく知られた。
相撲部屋に入門するも、見込み無しとしてお払い箱になった駒形茂兵衛は、二幕目となる10年後には精悍な渡世人となって登場。一方でお蔦は困窮しており、2人は立場を変えて再会する。
青空文庫でも確認したのだが、駒形茂兵衛・お蔦はともに歳の頃23〜24。10年後は33〜34ということになる。
年齢を超えられるか
このDVDの収録は昭和58年(1983年)11月 歌舞伎座。この時、十七世中村勘三郎は御年73歳。お蔦を演じる六世中村歌右衛門は66歳だろうか。
十七世中村勘三郎は長らく絶えていた「中村勘三郎」の名跡を再興し、新たに屋号『中村屋』を興した大スター。一方、中村歌右衛門は戦後歌舞伎界における女形の最高峰。
演技の力の前に年齢は関係ない。とも言えなくはないが、自分はそこが気になってしまったというのがまずある。
例えば、一幕目において茂兵衛は空腹で弱りきっている設定だが、それが空腹の状態なのか、耄碌しているのかがやや際どい。ご高齢のためアクションシーンにも難があり、クライマックスとなる儀十との一騎打ちでは客席に笑いも漏れ聞こえている(儀十を演じる中村吉右衛門の負け芝居は、対する勘三郎の動きを考えるとああするしかなかったように思われる)。
一方で歌右衛門も、若々しい酌婦を演じるには経験と凄みがあり過ぎてしまっており、怪異の感が漂う。
比較検証
こうなってくると、息子である十八世勘三郎の茂兵衛が観たいな….と思って検索してみたら、あるではないですか。まさかのbilibiliに。
※実はこのDVD収録内容もYTにあるので比較できてしまう…。
2004年の公演ということなので、恐らくはこちらだろう。茂兵衛を演じた十八世中村勘三郎、この時は勘九郎ではあるが49歳、お蔦を演じた九世中村福助は44歳だ。
※余談だが、この九世中村福助は七世中村歌右衛門を襲名予定だったそうだ。その点においてこの2つの公演は、新旧勘三郎&歌右衛門ということになる。
2013年9月、成駒屋の大名跡である中村歌右衛門を七代目として襲名すると共に、長男・児太郎に十代目福助を継がせることが明らかとなったが、同年11月公演を体調不良のため途中降板。脳内出血による筋力低下のため暫く休業することが発表された。以後、歌右衛門・福助ダブル襲名は保留となっている。
※さらに余談だが、九世中村福助の姉・波野好江は十七世中村勘三郎の妻ということなので、義兄弟コンビでの興行ということにもなる。
閑話休題。
観てみるとやはり、これくらいの年齢が自分にはしっくりくる。
一幕目の茂兵衛には未熟さがあり、二幕目には壮年のエネルギーが満ちている。DVDの十七世は、一幕目と二幕目の演じ分けで茂兵衛が別人にさえ見えてしまっていたが、十八世の茂兵衛には無理も感じない。
そこに失われているもの
とはいえ、この2004年の方が1983年に優れているかというと、必ずしもそうではない。1983年にはあった茫漠たる寂寥感というのか、うまくはいかない人生の物悲しさのようなものが、若々しさが前面に出てしまっているが故に失われているのだ。
これについては、素晴らしい論考を見つけたので是非ご紹介しておきたい。
つまりこれは最後の「横綱の土俵入りでござんす」を声を張り上げて言ってはいけないと云うことです。茂兵衛にとってこれは恥ずかしくて言えない台詞です。だって茂兵衛はお蔦との約束を違えてしまったのですから。だから言えた柄じゃないのだけど、でもちょっとだけ言ってみたかったのです。姐さんの目の前で「横綱の土俵入りでござんす」って正々堂々声を張り上げて言ってみたかったなあ・・グスン(涙)スミマセンお蔦さん・・と心のなかで言うということですね。この幕切れこそ長谷川伸です。
3)勘九郎の茂兵衛
ここまで「横綱の土俵入りでござんす」の末尾を張り上げてはいけない理由の心情的分析をしてきましたが、もうひとつの理由は末尾を強く張ってしまうと、この後、お蔦からもらった巾着を取り出し・心のなかでお蔦に謝る場面の情感がかき消されてしまうからです。ところで生前の十八代目勘三郎が勘九郎(当時は勘太郎)に茂兵衛のこの台詞を教えている映像を見た記憶があります。(平成23年11月4日フジテレビ放送「中村勘三郎・復帰への日々」)
「しがねえ姿の、横綱の土俵入りデーゴーザーンースーゥー。(と長く引き伸ばし張り上げ)中村屋ッ(と自分で掛け声を掛ける。)」
とやっていましたねえ。今回(令和5年9月歌舞伎座)の勘九郎は、亡き父の教えた通りやっていました。まあ十八代目勘三郎がこの末尾を張り上げずにいられなかったところに役者勘三郎の熱さを聞く気がするのも確かですけれど、これだと全然「しがねえ」が利いて来ないのです。(掛け声に至っては論外と云うべきで。)ここは幕切れのしみじみとした情感を大切にしてもらいたいですねえ。そのためには「一本刀」だけでなく・他の長谷川伸作品にも目を通して、そこから浮かび上がる長谷川伸の様式(フォルム)を正しく理解せねばなりません。
このさりげない十八世勘三郎に対する人物評も膝を打つところがあるが、この2004年の公演に感じたのは、まさにこれなのである。
※2004年の公演では巾着を取り出していない。謝る場面の情感はなく、達成感が漂う。
※このブログ「歌舞伎素人講釈」と題されているが、実際には歌舞伎の研究者の方が書かれていて、勘三郎についても書籍を出されているようです。プロですな。さすが。
演じ続けられる一本刀土俵入
あと、今回たまたま見つけた歌舞伎公演データベースがとにかく優秀で、例えばこれまで演じられた「一本刀土俵入」がデータとしてまとまっていたりする。
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素晴らしすぎる。
振り返って眺めてみると、勘九郎(6代目)が演じているのはまあそうだろうとは思うものの、意外にも松本幸四郎(9代目)も演じているのですね。とか考えたりしていると本当にキリがないので、一旦は以上としておきます。