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笑顔ふたつ -Aside-

  いつもの朝。徒歩通学は朝の空気が爽やかに見えるけど、私にはなんだか少し重たい。別に何が嫌っていう訳じゃない。仲良しのクラスメイト、まあまあの成績、無難なデザインのブレザーも気に入ってる。でも、それだけ。机に教科書を置いているのでノートや筆記用具しか入っておらず軽い鞄を肩に掛け直しながら通学路の土手を歩く。
  この風景は、好きだ。
  皆が皆、少し急いでいて私なんか気にも留めていない。一人に一つずつ人生があって、気が重かろうが呑気だろうが誰もが自分の場所へ向かって一生懸命にこの道を歩いている。

  ふと、違和感。皆忙しなく駅の方向へ向かったり、高齢の夫婦がのんびりと朝の散歩をしてりしている風景の中でピタリと止まったまま動かない人。パッと見たところ男の子。制服ではない様子だ。何してるんだろう。私の歩くペースは変わらないのでどんどん近づいていく。ほら、もう。すれ違う。

  目に入ったのは真剣な表情。手に持った紙をじっと食い入るように見つめている。細く黒いフレームの眼鏡は朝の空気を吸い込みながら彼の眼差しを手元の紙へと誘う。何を見ているのだろう。

  すれ違う、その瞬間に見えてしまった。彼が握りしめた、地図。思わず立ち止まる。
「ねえ」
  行き交う人達の中でストップモーションなのは彼だけで、だけど彼にとっては周りの人間その他もろもろ。自分が声をかけられたと思わなかったようだったので正面にまわって地図越しに「ねえってば」と声をかけた。
「えっ?あっ!ぼ……いや、お、俺?」
「他に誰がいるの」
  まあ、そりゃあ見ず知らずの女子高生に話しかけられたらいくら年が近そうでも一旦聞こえなかったようになるだろう。
「えっと……何か?」
  地図から目を離して私を見た彼はいかにも不審そうに聞き返してくる。
「ちょっとそれ見せて」
「それ?」
  焦れったくて半ば強引に彼の手から地図を奪い取った。そして「やっぱり」と嘆息する。
「これ、見方逆だから!」
  呆れてしまってやや乱暴に地図を突き返す。勿論、正しい見方の向きに変えて。
「うそ!逆!?どうりで全然分かんなかった」
  焦ったように眼鏡の位置を片手で直しながら彼は地図を受け取った。
「だっさ!方向音痴かよ」
  思わずそう言ったら彼が急にきょとんとした顔をしたので、知らない人に対して言いすぎたかと思った瞬間。
  彼は今までの表情が嘘だったみたいに破顔して笑った。
「ははっ、ほんとだ。カッコ悪いね、僕」

  地図を睨んでるみたいな顔だけだったから、突然柔らかく笑った彼にびっくりしてしまった。それがなぜか私もおかしくて朝日照らす道で二人、しばらく笑った。

  彼にこの辺の地図の見方と大体の目印になる建物をいくつか教えてさよならした。彼は何度もありがとうと頭を下げていた。

  また歩き出すいつもの道。もう会うことはないかもしれない彼。
  瞬きする度に浮かぶのは笑った彼の顔。「変なの」と小さい声で呟いて歩き出す。私の日常の中に紛れ込んだ男の子の話。

#忘れられない恋物語

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