第21週 火曜日 スポーツ選手 青木まゆみ
21週目のスポーツ選手は日本の元競泳選手。1972年ミュンヘンオリンピック100mバタフライ金メダリストの青木 まゆみさんです。
青木 まゆみ(あおき まゆみ)さんは、西口 まゆみとして1953年5月1日熊本県山鹿市(旧菊鹿町)にお生まれになりました。
青木の話によると、初めて泳げるようになったのは小学6年生の頃だそうです。
そしてそれまでは泳げなかったそうです。
当時お父さんに「中学生にもなるのに泳げないのは恥ずかしい」と言われ、自宅近くの川で練習して25mが泳げるようになったそうです。
その後、中学3年のときに大阪に水泳留学し、山田スイミングクラブで練習を重ねられます。
1964年の東京オリンピックで競泳競技が不振であったことから、当時ロート製薬の社長であった山田輝郎氏が私財1億円を提供し、大阪市生野区のロート製薬本社敷地内に1965年3月に開設したのが山田スイミングクラブで東京の代々木スイミングクラブと並び、日本における最初期のスイミングスクールと言われたそうです。
それまで学校や企業の水泳部が中心だった選手強化を、初めて英才教育のクラブ組織に切り替えたクラブです。
オリンピックメダリストを養成するため、全国から女子の有望選手だけを集めて寮に入れ、徹底した指導を行ったそうです。選手は近隣の大阪市立巽中学校や浪花女子高等学校に在学していました。
創設1年半後の1966年8月に開催された日本水泳選手権では、出場27選手のうち25選手が入賞。6種目で優勝するなど英才教育の成果を現しています。
西口 まゆみさんはその精悍な体つきと風貌から「女金時」や「金太郎」という異名が付けられたそうです。
ミュンヘンオリンピック開催の1972年に高校を卒業されます。
その後は就職・進学を行わずに練習に専念されました。
同年7月21日の日本選手権で、100mバタフライで1分3秒9の世界新記録を樹立、金メダル候補となられます。
9月1日のオリンピック本番でも1分3秒3の世界新記録で優勝されます。腕でひとかきする間に2回のキックをする「2ビート泳法」が有名になりました
個人種目としては1936年ベルリンオリンピック200m平泳ぎの前畑秀子さん以来の日本人女子金メダリストとなられました。
当然、優勝は青木さんにとって嬉しいことであったが、今のようにガッツポーズすることはなかったそうです。
当時の風潮ではガッツポーズは「生意気だ」「いつからそんなに偉くなった」などと思われていたためできなかった、と青木は述べておられます。
また、時代背景もあり、「今と違って金メダルを獲ったからといって人生が変わったとかはない。青春の1ページだった」とも述べておられます。
しかしミュンヘンオリンピック100mバタフライ決勝前の選手ミーティングでは外国のライバル選手を睨みつけ闘争精神を前面に表すなど気の強さを見せつけたという逸話が残っています。
1973年に青木まゆみさんは天理大学に進学し、同年の世界水泳選手権(ベオグラード)では100mバタフライで銅メダルを獲得されました。
大学卒業後は公立高校教員(地方公務員)となり、西宮市立西宮高等学校の体育科教諭として採用され、西宮市立西宮東高等学校に勤められたそうです。
現役引退後は長らく公の場への出席やマスコミとの接触を断ってきていたが、近年は講演を行うなど経歴を生かした活動を行うようになっておられます。
めぐめぐがすごいと思う青木 まゆみさんのこと
1中学生まで泳げなかったのに、そこからオリンピックで金メダルを取るまで本当に水泳に集中されたこと。
2そしてその後も世界水泳選手権で銅メダルを取られていること。
3その後は普通の高校の先生として人生を歩まれていること。