第8週日曜日世界で活躍する女性 山崎直子
8人目の世界で活躍する女性は宇宙飛行士の山崎直子さんです。
山崎 直子(やまざき なおこ)さんは、1970年(昭和45年)12月27日 千葉県松戸市で角野(すみの)直子さんとしてお生まれになります。
松戸市立第一中学校卒業、お茶の水女子大学附属高等学校卒業され東京大学工学部航空学科に進まれます。
少女時代に松戸市民会館に併設のプラネタリウムに足繁く通い、影響を受けたそうです。
プラネタリウムやボイジャーが送ってきた画像、アニメの宇宙戦艦ヤマト[1]などから影響を受け、またチャレンジャー号爆発事故のニュースを受け「亡くなった宇宙飛行士たちの意思を引き継いで、宇宙の素晴らしさを子供たちに伝えたい」と思い、宇宙を志したという説があります。
またお父さんは陸上自衛官(防大3期)で第1空挺団の幹部自衛官(元陸上自衛隊需品学校副校長・最終階級1等陸佐)であった。宇宙飛行士を志したのは落下傘降下する父親の姿の影響を受けたのではとする説もあるそうです。
現在このプラネタリウムには、山崎さんが国際宇宙ステーション組み立てミッションに参加した事を記念して「NAOKO SPACE PLANETARIUM」の愛称が付けられている。また、会館の敷地内には松戸中央ロータリークラブより寄贈された記念碑が建てられている。松戸市では山崎さんが地球に帰還した4月20日を「まつど宇宙と科学の日」としています。
1994年 - 1995年ロータリー財団国際親善奨学生としてメリーランド大学へ留学され1996年3月 - 東京大学大学院工学系研究科航空宇宙工学専攻修士課程修了されます。同年4月 - 宇宙開発事業団(現・宇宙航空研究開発機構、JAXA)に入社されます。
このように宇宙飛行士に選抜される以前から、宇宙工学を専攻して自らきぼうなどの開発に従事した、有人宇宙機開発エンジニアでもある。
将来の夢として「日本で有人宇宙船を開発して打ち上げたい」とも語っておられました。
1999年2月 - 古川聡氏、星出彰彦氏とともに国際宇宙ステーションに搭乗する宇宙飛行士候補者に選ばれます。
2000年12月 - 山崎大地氏と結婚されます。現在までに2女をもうけられています。2012年2月に離婚されています。
2001年9月 - 入社3年後、2度目の受験で試験に合格、宇宙飛行士に正式採用されます。
2004年5月 - ロシアのソユーズ宇宙船のフライトエンジニアの資格を取得されます。
2006年2月 - アメリカ航空宇宙局(NASA)のスペースシャトルの搭乗運用技術者(MS)の資格を取られます。
2007年(平成19年)、WOWOWアニメ『ロケットガール』に、物語の主人公である架空の女性宇宙飛行士についてコメントするJAXA宇宙飛行士(山崎本人)役として特別出演されています。
2008年5月には搭乗者支援宇宙飛行士として土井隆雄氏のミッションを支援した。
2008年11月 - STS-131のクルーに任命されます。
2010年
4月5日 - 4月20日国際宇宙ステーション組み立てミッション(19A)参加のためスペースシャトル・ディスカバリー(STS-131)に搭乗されます。
ロードマスター(物資の移送責任者)として移送物資の管理や、作業の指揮を担当されました。
2010年4月5日(日本時間、以下同)、スペースシャトルディスカバリーに搭乗しケネディ宇宙センターから打ち上げ、飛行二日目にはシャトルのロボットアームとセンサ付き検査用延長ブーム(OBSS)を使い軌道上で機体の点検を行われます。
7日にISS到着、ISS23次長期滞在中の野口聡一飛行士らに迎えられる。滞在中は、ステファニー・ウィルソン飛行士と共にISSのロボットアームを操作し補給物資を搭載した多目的補給モジュール「レオナルド」をシャトルの貨物室からISSへ移動、その後他の飛行士と共にレオナルドから実験ラックや冷凍冷蔵ラック、個室ラックなどの機器や資材、補給物資の搬入を行っ](ISSからレオナルドへの搬出も同様。移設物件の内訳についてはミッション記事を参照)。これらの任務の他、地上との交信行事やきぼうで持参の琴(特注の小型の物)の演奏や俳句の創作と募集なども行われました。
STS-131ミッション中、恒例の宇宙飛行士個人に向けたモーニング・コールの曲には、『ハトと少年』(アニメ映画『天空の城ラピュタ』より)、『瑠璃色の地球』(松田聖子)が用意されたそうです。
宇宙滞在中は無重力状態で長い髪が放射状に広がるため(向井千秋さんはショートカットだったので日本人では初めてのケース)、常に髪留めを着けていた。髪留めは特注で作らせたもので、ISSと地球がデザインされていたそうです。
17日にディスカバリーでISSを離脱し、20日ケネディ宇宙センターに帰還した。
宇宙から帰還後、ケネディ宇宙センター滞在中に髪をバッサリ切り、帰国会見にはショートカットで登場されました。
2010年4月20日に発生したメキシコ湾原油流出事故に対して油の吸着材として髪の毛を寄付する運動があり、提供したそうです。
スペースシャトルは2011年(平成23年)限りで退役したため、山崎さんは日本人として最後のシャトル搭乗者となられました。国際宇宙ステーション(ISS)の日本人女性初の長期滞在も期待されていたが、2011年8月に引退を表明されます。
これによって、要員減で日本の宇宙計画の練り直しが必要になったそうです。国際宇宙ステーションでは、一般人の宇宙生活実現に向けた女性の医学データの取得なども検討されていたそうです。
2012年7月に宇宙政策委員会委員、2014年に女子美術大学芸術学部アート・デザイン表現学科メディア表現領域客員教授、2018年に鳥取県宇宙部長に就任されます。
山崎さんの趣味は
琴、書道、スキューバダイビング、テニス、ジャズダンスだそうです。
著書は以下の通りです。
めぐめぐがすごいと思う山崎直子さんのこと
1様々な子ども時代の経験から宇宙に憧れ、その夢を努力して掴まれたこと。
2宇宙飛行士という夢を実現する前にきちんとエンジニアとして裏方の仕事をしっかりなさって、本当の夢をかなえられたこと。
3宇宙から帰られてからも、これからを担う子供たちのために、素晴らしい仕事を続けられていること。
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