第7週 土曜日メディアで活躍する女性内館牧子
7人目は脚本家、作家の内館牧子さんです
内館 牧子(うちだて まきこ)さんは、1948年9月10日 秋田県秋田市生まれです。
お父さまはは岩手県盛岡市、お母さまはは秋田市出身[だそうです。
日本冷蔵(ニチレイ)に勤めておられたお父さまの転勤で、四歳から新潟県、小学校3年からは東京都大田区で育たれました。
幼い頃はいじめられっこであったが自身を助けてくれた男の子が大きな体を持っていたことから、体の大きな男の子は優しいのだという意識が刷り込まれたといい、これが大相撲に興味を持つきっかけとなったそうです。
東京都立田園調布高等学校を経て、1970年(昭和45年)、武蔵野美術大学造形学部基礎デザイン学科を卒業されます。
在学中はラグビー部のマネージャーを務めたそうです。
その後は三菱重工業に入社されて横浜製作所に勤務、同所硬式野球部でマネージャーも務めたそうです。
1987年脚本家デビュー。当初は岸牧子の筆名で活動されました。
代表作に、NHK連続テレビ小説『ひらり』、『私の青空』、大河ドラマ『毛利元就』などがあります。
大の格闘技ファン、特に好角家であることが知られ、2000年8月に女性初の大相撲・日本相撲協会の横綱審議委員に就任されます。
東京で行われる場所は10日は会場に足を運んだ。その他プロレスにも造詣が深く2011年現在東京スポーツ催のプロレス大賞で特別審査委員も務めているそうです。
2003年、東北大学大学院文学研究科修士課程の社会人特別選抜を受験し合格され。人間科学専攻(宗教学)へ入学し『神事としてみた相撲』を研究テーマに宗教学を専攻。2006年修了されています。(修士 (宗教学))
2000年に大阪府知事に就任した太田房江さんが、大相撲大阪場所での大阪府知事賞の贈呈を土俵上でと希望したことを、日本相撲協会が相撲女人禁制の伝統を理由に拒否したことに関しては、一貫して協会側を支持されました。
2006年、修士論文を『女はなぜ土俵にあがれないのか』として刊行。宗教的儀式としての相撲の歴史と伝統を検討した上で、文化論争を抜きに、伝統の世界に男女共同参画の観点を安易に持ち込む風潮に疑問を呈しておられます。
また2005年より東北大学相撲部監督に招聘されて。2006年より秋田経済法科大学(現・ノースアジア大学)客員教授もされています。
さらに2007年より武蔵野美術大学映像学科客員教授としてシナリオ制作の実習授業を担当され2011年4月東日本大震災復興構想会議委員に就任されています。
なお近年は週刊誌の連載コラムやインタビューなどが主な仕事となっておられます。
2017年5月7日、東京都内で第7回「忘れられない看護エピソード」表彰式に、ギプスをはめた車いす姿で出席されて右足骨折で全治6ヶ月の重傷を負ったことが明らかになりました(理由は公表されていません)。
2000年9月、当時の時津風理事長(元大関・豊山)の任命により、女性唯一となる横綱審議委員会のメンバーとして約10年間活動されています。
2002年1月場所前(同年1月7日)に行われた大相撲稽古総見の際、第67代横綱・武蔵丸が左手首の故障を理由に当日総見を欠席するも、数日前にプロレス・ラグビー観戦をしていたことに対し、「社会人として最低。あんな横綱に優勝して欲しくない」などと厳しく非難され、その件がきっかけとなって「横審の魔女」の異名を冠するようになったそうです。
また2003年1月場所後、第68代横綱・朝青龍の昇進には関しては、「成績は申し分ないが、品格の面で問題有り」と反対の意見を述べていた。その後も朝青龍の常識外れの行動・言動についてその都度猛批判しており、「朝青龍の天敵」としてマスコミに大きく取り上げられていたこともありました。
もっとも、私的な立場としては「私はプロのスポーツ選手として朝青龍をすごく認めますし、超が3つつくほど好き」「アスリートとしては、150%好き」と好意をよせていたそうです。
しかし普段の辛口のコメントについては「でも大相撲には相撲道の精神がある。それを無視し続けていた朝青龍と、ビシッとした態度を全く取らない師匠(高砂親方=元・大関朝潮)がいるから、私は毎回鬼のように怒らなきゃならなかった」「私自身朝青龍に対して、『横綱』としては一切認めていない」[14]などと報道陣に述べた経緯があったそうです。
2008年12月、心臓弁膜症で倒れ緊急入院・手術のため約4か月間治療に専念されます。翌2009年4月29日の大相撲稽古総見で復帰の際、朝青龍の方から内館に近寄り「先生大丈夫ですか?心配しましたよ。元気になって良かったですね」と語りながら笑顔でハグされると、内館も思わず笑みを返す場面があったそうです。
その後内館は、記者陣に対し「(朝青龍は)まるで(豊臣)秀吉みたいな『人誑(たら)し』だわ。『天敵』の私を喜ばせるんだから」と皮肉交じりにコメントしておられます。
2010年1月25日をもって、横綱審議委員としての任期を満了した。同日最後となる横綱審議委員会の席で内館は、1月場所中の1月16日に泥酔暴行騒動を起こした朝青龍に対して「日本相撲協会は余りにも朝青龍に甘過ぎる。今回も『厳重注意』で済む問題じゃない。普通の企業なら間違いなくクビ、又次に何かやったら『引退勧告』すべきですよ」と苦言を呈されました。
しかし数日後、朝青龍が暴行した相手は当初報道された個人マネージャーではなく、一般人だった事が発覚。内館の横審委員退任から僅か10日後の同年2月4日、朝青龍は度重なるトラブルに責任を取る形で、突如現役引退を表明しました。その際に内館さんは「朝青龍が自ら引退したことはベストの選択だったと思う。今後は日本であれ外国であれ、その国と業界及びその仕事に対し、敬意を払うことを忘れないでほしい」等とコメントを述べられました。
なお2011年3月の本場所中止の要因となった大相撲八百長問題に関しては、「全く知らなかった」「夢にも思わなかった」と言う立場を貫いている。
脚本担当歴のある『連続テレビ小説』については、自身が手掛けていない作品も視聴しており、「朝ドラはすごく面白いと思う。自分だったらこうするのにとかは思わない。毎回楽しんで見ている」と述べておられます。
『将棋世界』2013年7月号において、内館さんが自身の連載コラム「月夜の駒音」でコンピュータ将棋ソフトウェア「Puella α」と塚田泰明の対局を取り上げた際、ソフトウェア開発者の伊藤英紀が、その内容の中に「名誉を毀損し、侮辱する記載」があったとして、日本将棋連盟と同誌の発行元であるマイナビに損害賠償と謝罪を要求する訴訟事件がありました。しかし両者ともこれに応じなかったため、同年12月に内舘、将棋連盟、マイナビの三者は伊藤より名誉毀損で提訴されたそうです。裁判の結果、2014年12月に、被告は賠償金を支払って謝罪記事を載せた上で問題の記事を撤回するという、全面的に敗訴と言える内容で民事訴訟法の規定による和解をしているそうですい。 尚、連載の内容から内館さんが「行き所のない駒が禁じ手である」という将棋の基本的なルールさえ理解していないことがうかがわれ、実際には将棋に興味はなく、単なる「創作活動の手段」としてしか見ていないということがこの訴訟で分かったそうです。
めぐめぐが思う内館 牧子さんのすごいところ
1ずっと学び続けられているところ。デザイン、宗教学と言う全然違うフィ―ルドで好きなことを学ばれていること
2格闘技好きから女性唯一の横綱審議委員を10年務められ、伝統を守るために厳しい意見も述べられていたこと。
3同業者に対してライバル心を持つのではなく、気軽にお互いの良さを認めつつずっと脚本を書かれているところ。なかなか出来ないことだと思います。
この記事が参加している募集
もしサポート頂けたらとても嬉しいです。頂いた貴重なお代は本代にいたします。どうぞよろしくお願いいたします!