第5週 水曜日教育者 安井てつ
5人目は大学教育に戻り、女子の高等教育に関わった安井てつです。
1870年3月24日安井てつさんは東京に旧古河藩藩士の長女として生まれました。
東京女子高等師範学校(お茶の水女子大学の前身)を卒業して、まず岩手県尋常師範学校や母校の東京女子師範学校で教えられます。
1896年、26歳のとき、文部省留学生としてイギリスに留学されます。
ケンブリッジ大学やオックスフォード大学で教育学を学ばれます。
帰国後に海老名弾正から洗礼を受けるも、母校から棄教を迫られ日本で教職を続けることをやめ、タイのバンコク府皇后女学校 に転出、のちウェールズ大学で学び、帰国後に学習院や津田梅子の女子英学塾で教えられます。
また女性教養誌『新女界』(1909年創刊)の主筆も務められます。
1918年に新渡戸稲造に請われて東京女子大学の設立に参加して、1923年に新渡戸の跡を継ぎ2代目学長に就任して、1940年まで務めました。
教え子に二階堂トクヨや青山なを等がいます。
東京女子大学卒業の作家瀬戸内寂聴さんの作品「50歳からでも遅くない」にも安井てつさんの話が出てきます。
その後1943年より東洋英和高等女学校(現・東洋英和女学院中学部・高等部)で校長事務取扱を務められます。
1945年、交通事故に遭い、その年の12月2日に76歳で死去されました。
めぐめぐがすごいと思う安井てつ
1藩士の長女に生まれ教育を志して、素晴らしい先生になられたこと。なかなか当時先生になることも、またいろいろな学校に呼ばれることもなかったと思いますが、それをすべてされたことがすごいと思います。
2イギリス大学の留学で本当に努力されて学問を学ばれたこと。 だからこそ数少なかった日本の女子大学設立に呼ばれて学長として多くの女子学生を育てられたのだと思います。
3キリスト教徒になってから、その信仰を守るために、日本で働くことをやめて、アジアで教え、そしてイギリスでさらに勉強したということもすごいことだと思います。ある意味命がけで海外に出て教育に関わるという本当にすごいことです。
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