心の痛みは誰にも測れない
当事者は語れない、と言われる。
「語れない」という言葉には、困っている人は「自分が何に困っているのか分からない」「困りごとを言葉にできない」という意味が込められている。
自分が何に困っているのか言語化して伝えられる人は、「真の当事者ではない」と言われることもある。
この表現には、心が痛む。
なぜ心が痛むのか。
それは、真の当事者こそがサポートすべき人であり、それ以外は対象者ではない。そう読み取ってしまったからだ。
本当に必要なサポートは何なのか
たしかに自分の困りごとを言葉にできない人は、サポートにつながりづらい。
だからこそ、サポートする側が自ら足を運んで、彼らの言葉に耳を傾けてサポートすることが求められる。
ただ、一番必要なのは、それぞれの段階に合わせたサポートなのではないか。
困りごとを言葉にできて助けを呼べる人、呼べない人。福祉やNPOなどの支援から卒業した人。それぞれにサポートは必要だ。
また、サポートをしている支援者自身が、どの段階の人に向けたサポートをしているかを自覚することも必要不可欠だと思う。
他者は痛みを測れない
こう考えた背景には、「痛みの強さは他者が測ることはできない」という思いがある。
当事者性による痛みは「喪失体験」に似ていると思う。
ライフイベントごとによみがえってきて、悲しさや寂しさ、苦しさを感じる。
当事者性というものは、形を変えながらも、ずっと自分の中にあって、共に生きていくものではないか。
最も困っている状態から抜け出したら、誰のサポートも受けなくていいわけではない。
他者が「つらい」「つらくない」と痛みを測ることは、めぐりめぐって最も困っている状態にある当事者の首を絞めることになると思う。
わたしは、せめて人の痛みを測らない人でいたい。
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