学力の数値化は人を幸せにしない①
私には、大学受験につまづいて暗黒の高校生活を過ごしていた時期があります。
それまで楽しんでやっていた勉強が、受験のための勉強になった途端、楽しくなくなっていったんです。
そんな経験があるので、テストで学力の数値化をすることに対して色々と思うことがあります。
そこで今回は、「学力の数値化は人を幸せにするか。」について書いてみたいと思います。
テストをするのが当たり前?
今の日本のほとんどの学校では、定期的にテストをして点数をつけています。
本来は目に見えない子供の「学力」を、テストを通して数値化し可視化しているわけです。
そうすることで、通知表の評価に役立てたり、校内の定期考査の順位付けをしたりしています。
定期的に行われるテスト以外にも、色々なテストがあります。
地域によっても違いますが、小学校では学年の始めに、標準学力検査(NRT)というテストが行われることがあります。
前年度の学年での学習がどれくらい身についているかを測るテストです。
全国的なテストとしては、平成19年から始まった「全国学力・学習状況調査」があります。
小学6年生と中学3年生を対象に、国語や算数などのテストをします。
ほぼ全ての公立小中学校で実施されています。
また国際的なテストとしては、OECDのPISA(国際的な学習到達度に関する調査)があります。
平成12年から始まり、日本も初回から参加して3年ごとに調査を実施しています。
15歳児を対象に、読解リテラシー、数学的リテラシー、科学的リテラシーの三分野を測ります。
こんなふうに、日々のテストの他にも、様々なテストをしているのが今の子供たちです。
まさに「テストをするのが当たり前になっている」といえます。
でも、当たり前の学校文化を疑ってみる、立ち止まってそのあり方を考えてみるということも、時には大切ではないでしょうか。
実際、全国学テやPISAには、当初から批判の声も根強くあるようです。
学力を数値化することでどんな弊害を生むかについて、私が思うことを書いてみます。
競争により敗者も勝者も苦しむ
学力の数値化をすることで、学力の序列ができます。
点数の高い人から低い人までを順番に並べるだけで、順位を出すこともできるし、入試の足切りもできます。
知能の高い人が欲しい側からすれば、とても便利な道具です。
でも、これによって子供たちの間に起こるのは、競争や周りとの比較です。
あの子より点が低い。
順位が上がらない。
など、数値化された学力が低いことに劣等感を感じたり、点数が高い子を羨んだりして苦しむ子が出ます。
そして点数が高い子も、
前回より順位が落ちた。
◯点以下にはならないようにしないと。
など、上位にしがみつくことに必死にならざるを得ません。
こうやって競争させることは、受験などで知能の高い子がほしい側にはメリットがあるでしょう。
でも当の子供たちには、メリットよりデメリットの方が遥かに大きいと私は思います。
学校や教員の序列化をうむ
学力の数値化は、子供に序列をつけるだけにとどまりません。
その子供がいる学級や学校の学力レベルも一目瞭然で分かるので、特定の地域内の学校を序列化することもできるようになります。
さらに教員の力量の測るツールにもなり得ます。
子供たちの学力の数値化は、学級や学校、教員を序列化することにもつながる可能性があるんです。
ここまで考えてくると、学力の数値化は誰のためのものか、という問題が出てきます。
一体学力を数値化することで、その恩恵を受けているのは誰でしょうか。
果たして、当の子供たちのためになっているのでしょうか。
ここはよく考えてみる必要があると思います。
長くなるので、続きはまた次回書きたいと思います。