母になって10年
うちの長男はいま10歳。彼が生まれてから10年経ったということはつまり、わたしも母親になって10年経つということになる。
このまえスピッツの「桃」という曲を聴いていたら、息子を出産して間もなくのことをふっとフラッシュバックみたいに思い出した。
たしか出産翌々日くらいに、スピッツの「桃」という曲を聴きながら病院のベッドで息子の寝顔をみていたら、唐突に「これはいまのわたしのことを歌っている」と思ったのだった。
いま、冷静にこの曲を歌詞を見ながら聴いてみると、たぶんこれは恋愛の歌なんだろうなあと思う。しかし出産翌々日くらいのわたしには「これはわたしと息子のことを歌っている」としか思えなかった。
産後のわたしにとっての「桃」は、「やわらかくて甘い匂いがする、生まれたての息子の象徴」だったし、「あの日々にはもう二度と戻れない」というのは、この子が生まれる前の日々にはもう二度と戻れない、という意味に聞こえた。
わたしは母親になったんだからもういままでのわたしじゃないんだ、この子にやっと出会えたんだから絶対になにがあってもこの子を幸せにするんだ、それ以外のことは今はどうだっていいんだ、みたいなことを、全身筋肉痛の痛みとろくに眠ってないぼんやりとした頭で思いながら感極まって泣いた。
出産前、「子どもがうまれたら、わたしが個人的にやりたいことをするいわゆる”自分の時間”は少なくなるだろうなあ」というところまでは想像していたつもりだった。
しかし実際は「自分の時間が少なくなる」だけでなく、それまでの自分の根幹を成していたアイデンティテイみたいなものが、一気にぽーんと急激に遠くに行ってしまって「母親」という生き物に転生してしまったような感じだった。それはそれは大いに戸惑った。
それまでは気にならなかった些細なことで動揺したり泣いたり腹が立ったり、それまでは面白いと思えていた芸人さんのネタで全然笑えなくなったり、なによりそれまでは恋人の延長みたいな存在だった夫に対して持っていた恋愛感情みたいなものが、ふっと薄らいでしまったことにいちばん動揺した。
スピッツの曲を聴いて泣いてしまったのは、いわゆる産後ハイで興奮していたこともあるけれど、「大好きなスピッツの曲を聞いてちゃんと心が動く」自分の「好き」の感じ方に対しての安心も含まれていたのかもしれなかった。
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あれからもう10年かあ。
あの頃の自分には「だいじょうぶだいじょうぶ、その謎の不安感と興奮はたぶん産後に起こる一時的なホルモンの影響みたいなやつだから」「そんな簡単にアイデンティテイが全部消えてなくなったりしないからね、ちゃんと奥底に残ってるからね」と言ってあげたいかなあ。