私の中のサバイバルストーリー
最近、よく中学受験したときのことを思い出す。自分の中の大きな曲がり角で、たくさんの「思い込み」や「トラウマ」が生まれたときでもあった。
田舎の小学校に通っていた私は、中学受験とは全く縁がなく、毎日放課後には自転車で学校に戻ったり、友達の家で遊ぶような活発な子どもだった。
改めて振り返っても、「中学受験は、私がしたかったことじゃない」と思う。
正確には、中学受験というより受験塾に通うのが嫌だった。想像以上の苦痛を経験したし、自分に対する認識も変わってしまった。
塾に通うことになったきっかけは、私の学びに対する好奇心だった。
学校のクラスの女の子が、まだ学校では習っていない算数の問題が解けることに驚き、そのとき初めて彼女が「じゅく」というものに通っている、ということを知った。
そのことを親に相談したとき、紆余曲折あって、受験をするための塾に通うことになったのだ。
その受験塾も、最初は楽しかった。
最初に入ったクラスは和気あいあいとしていて、学期の途中から入った私も少しずつ馴染めるようになった。
しかし、成績でクラス分けをしており、新しいことを学ぶのが楽しかった私は、どんどん上のクラスに上がっていき、最終的には一番上のクラスに入ることができた。
それまでは、その「上昇」も楽しかったのだが、一番上のクラスは、本当の秀才揃い。
席も、隔週のテストで成績が良かった順から、前に座る方式。
私は大体いつも、半分から後ろ、一番後ろに座ることも。
そのときの惨めさと言ったら。
時々、得意科目の社会で点数を稼いで、一番前の席に座ったこともあった。
そのときの優越感。
算数は全然できなくて、算数の特別クラスに行かなきゃいけないのが本当に苦痛だった。学校から帰ってきて「行きたくない」と、ダダをこねた。
宿題ができなかったのだ。
何度も0点を取る惨めさ。
「いい成績を取って感じる優越感」と「できない惨めさ」の行ったりきたり。
学校の友達とも遊べず、毎日「宿題」をする日々。
「これができないと志望校に行けないぞ」と先生から脅されたり。
「良い成績を取らなければならない」というプレッシャーもあり、たとえ宿題がなくても毎日学校から帰っては、勉強をしていた。
そんなにまで、追い詰められていたが、誰にも相談できなかった。
部屋にあったメモには「死にたい死にたい死にたい」と、なぐり書きをした。
何度か2階の窓から飛び降りようとしたが、できなかった。
受験まであと数ヶ月に迫る中、私は勇気を振り絞って言った。
「受験したくない」
自分を守るための、SOS。
でも、受け入れられなかった。「ここまで来たんだから」って。
これが、私の一つのターニングポイント。
自分のことが分からない、無感覚人間になった始まりでもあった。
自分を押し殺して受験勉強を続け、無事(親が決めた)第一志望の学校に合格した。
私は見学にも行ったことがなかった学校。
無気力、無感覚ながらにも、多少なりとも終わったことへの解放感を感じていた。
家族は喜んだ。
家族が喜ぶのも最もである。
彼らにとっても、上昇すること、できるだけ上に行くことが、生き残る術だった。
きっと私の家族だけじゃないだろう。
今でも多くの人に信じられているサバイバルストーリー。
他の人より上に、より多く。
いつになったら、この思い込みから解放されるんだろう。
私にとっては、この痛みのあるストーリーをシェアすることから始まる気がする。
この痛みは、仕方がなかったこと?
このお陰で、今の安定があるって?
もちろん、その見方も受け入れたとしても、私に残っている「怒り」や「悲しみ」は無かったことにはならない。
無かったことにしてはいけないのだ。
集団として抱えているサバイバルストーリーに、「ノー」を提示したい。
他の人よりもできなくても、何か持っていなくても、みんなそれぞれにパワーがあって、生き残ることができるということを。
小さく、無力な存在じゃない、ということを。
私は自分のために自由を選んで良いということを。
いつまでも大事にしたい。