アザレア(Azalea)の物語
第3章 自分探し
自分との出逢い。
自然は多くのことを教えてくれた。
人は生まれた時は天然。もとの素材に社会という枠の中で、教えられたことや体験を通して、不自然になっていく。そして、その不要なものを手放した時、ようやく人は自然となる。
全てを含んだありのまま。
自然に触れるたび、降りてくる言葉に深い気付きが起こる。気付きと比例して、アザレアの凝り固まったものが溶けていく。境界線は薄まり、世界と一つになる。
『いつも一緒』
一人でも独りではない安心感の広がり。
折に触れ、静寂へと誘われる。満ち満ちた感覚は、ここが還る場所だと答えをくれるかのようだった。
そしてふとした瞬間、探し求めていた自分とは『ずっと一緒だった』と気づいた。それは季節を追いかけた一年が、自分との出逢いの軌跡だったのだろう。
その事を彼女に報告できず仕舞いに、半年以上が過ぎたころ、話の流れで気付いた時には、言葉となって出ていた。それを聞いた彼女は言った。
「どんな自分でもいいのよ。努力をしてもできない自分でも、あるがままでいいのよ」と。
この言葉を全面的には納得できなかった。
あるがままの自分でいいとは思っていたが、改めて聞いた言葉に違和感が生まれた。だが、それが何かは掴めそうで掴めない。ただ反発心だけが残った。
その想いはしばらく居続け、苛立ちを募らせた。
苛立ちは還るべき場所への道を閉ざす。それが焦りを創り出し、長かった自分探しの旅の終わりは、ひと時の休息にしか過ぎなかったと疑念が湧き始めた。募る思考は感情の渦を巻き起こす。自分では、どうすることも出来ない諦めが頭を過ぎったその日、ツインレイの彼を偶然見かけた。車を発車する前。一歩踏み出せば、挨拶くらいは交わせる。頭は行こうとする。だが、どうしても一歩が出ない。体が金縛り状態で身動きが取れない。車は動きだし、アザレアに気付いた彼が手を振った。一瞬お互いの目が合った。振り返した手は虚しく、通り過ぎた車を見送った。動けなかった後悔が膨らんでいく。これが限界点を超えさせた。膨らみ過ぎた気持ちが弾けたと同時に、無になった。そして、この無が答えという名の有を創り出した。
『動けなかったのではない。動かなかった』
腑に落ちた。落ちた瞬間、波のようにものすごい勢いで、全ての答えが押し寄せてきた。
出来ない自分は、何かとの比較で現れる。
比較の対象が上か下かで、出来る、出来ないになるだけ。自分は何も変わっていない。やる必要がないからやらないだけなら、できない自分はいなくなる。
『自分はいない?』
比較と、時間と、認識。
これらによって、その時々の自分が現れるだけだと。
そして、再び完全なる無なった。
その日の夜、眠る前の『目が覚めている』と『寝ている』の隙間の場所で、不思議なことがはしまった。
『私は死ぬの?』
『死ぬけど、死なないよ。はじめからここにはいないから』
『そっかぁ。いなかったのか。じゃあ、何も無かったの?』
『有るときにだけ、在るだけ。同時に何も無いんだよ』
『有ったのに無いの?』
『そう。無いが在ったの』
会話と言うには不確かで、出来事と言うには曖昧な、言葉にできないそれが続いた。
最終章へつづく。