野外探索実践におけるケノコ食用可否の判定について
0.総論
ケノコがもっと手軽に採食できたならばどうだろう。分布の多さ、身近さを思えば、われわれにとって効率的なことこの上ない。実際に食用されるケノコがいくつかあるとはいえ、一般的な食材とはいえないのが現状だ。しかし近年の研究によれば、ケノコにはふつう思われているよりも幅の広い種差があることがわかってきた。また、毒性についても、環境因によるものである場合も多いとの報告があり、かつ、「毒抜き」の可能性も示唆されている。そのため、ケノコ研究において、畜化の検討がいそがれはじめた。
このレポートは、畜化の準備段階としてのケノコ探索において、現時点でかなりの活用が期待されるふたつのツールをどのように併用するべきなのか、ツールごとの特徴をあらためて整理し、確認するために書かれている。
ふたつのツールとは、ひとつに、ケノコ生態学研究の成果たるデータベースである系統同定プラットフォーム、そしてひとつに毒性判定キットである。前者は旧来、同定者の権威によって結論づけられることの多かった同定作業において、あらたなかたちでの確実性が目指され、構築されたものであり、後者は軍事的な研究の結果として開発されたものである。
重要な点としては、このレポートが、探索実践の狙いを中長期的なものとして想定している、ということがあげられる。つまり、「今日明日のごはんのため」ではないのだ。中期的には、食用可能な品種や分布域を把握し、囲い込むこと。さらに長期的には、栽培養殖をはっきりと行うこと。われわれが呼ぶ探索実践とは、これらを目標としたものである。
1.系統同定プラットフォームの利用について
系統同定プラットフォーム(以下プラットフォーム)は運用が開始されてから日が浅いが、原理的に日増しに精度が上昇していくため、活用の可能性は時間とともに高くなっていく。ケノコ発見の際、その外形(タイプ分析と細部情報)と色、放射率および外気温度と湿度、サイズと総量、単位体積あたりのグラム数を入力し、登録データと照合することで種の同定に役立てるものである。入力データはそのままデータバンクに登録されるので、使うごとに参照データ自体が増えていく。ログイン端末さえあれば利用可能であるために、計器実機の故障による探索不能のリスクを回避できる点は重要な利点である。
主要な種についてなら、具体的な詳細情報が膨大に集積されているため、照合結果はかなり信頼できる。しかし、特徴を観察し、判断し、入力することではじめて活用できるものであるから、観測者が事前に正しい知識を身に付けていることが利用の前提となっていることは微妙な問題である。観測者の観察技能をはかり、鍛えるための教育的利用の可能性は充分あり得るが、この点に関してはあとの項目で詳述する。
スムーズに照合結果の得られる種についての最終的な同定はプラットフォームによる結果への信頼をベースに行ってよい。しかし、そもそも登録されていないものに対しては有用ではないのだから、探索実践に出向いた地帯に生息するケノコが未発見の種や新種であった場合、ならびに、一見するとケノコによく似ているが、実際は別の生物であった場合などに、まったく役に立たなくなる。開発グループはこのことをカバーするために、ケノコとして観測されうるもののすべての情報送信を行うことを、利用者に対し、ペナルティなしの義務として課しているが、これはプラットフォームの主旨が同定にあるためである。次の項目でも同様の話題に触れることになるが、食用可否の判定というわれわれの目的のために製作されたデータベースではないことをいまいちど確認しておくべきだ。プラットフォームデータには、毒の程度が記されているが、これはあくまで平均的なデータでしかない。当然、すべてのケノコには毒の成分がある。ところが、種や生息環境により濃度にかなりの幅が生じる。すなわち、プラットフォームの利用により、ケノコ分布のあらましこそ把握できても、こと食用可否について直接的な判断はできない。しかし繰り返しになるが、われわれの目標が品種の判断や環境因の考察を踏まえたうえでの栽培養殖にある以上、プラットフォームを利用し、分布についてより正確に認識することは必須である。
2.毒性判定キットの利用について
プラットフォームの利用については、観測者自身の知識と技量に依る側面が多分にあったが、毒性判定キット(以下キット)については、観測者個々人による探査結果のゆらぎ幅をかなり少なく見積もることができる。ケノコ毒は一般にケノコ個体全身にひろがっており、そうでない珍しい場合は、ケノコ個体の変色部に集まっているため、計測すべき箇所の判断の難易度は極端に低い。
キットの利用法だが、ケノコ変色部(なければ任意の箇所)を採取し、計器先端の試験舌ボックスに投入、蓋をして数分待機するだけである。簡便であり、毒性があるかどうかが端的に、明確に表示されるため、観測者の知識の程度に依らずに判断できる。
なんの知識もないまま使用できることは、後続のための知(どのような地帯に分布、生息するどのようなケノコなのか、などの情報)との接続に対し、注意を払わなければならないということでもある。実際、計器は毒に反応しているだけであるため、その毒性を判断されたケノコが毒性の高い種であるとか、たまたま病気であるとか、周囲の環境によって帯毒化したのか、毒性のあるなにかが付着しているのか、などといった詳細にまでは踏み込めない。
キットは毒性の有無を判定する狙いで製作されたものであり、食用かどうかの判定を企図されたものではない。実際的な「毒見」には有用だが、長期安定的な食料確保のための的確な活用がポイントとなる。この問題については後述する。
また、基本的なことではあるが、毎回確実に試験舌ボックスを清拭する必要がある。清拭ミスをカバーするためには、一個体に対して複数のキットを使用すれば確実であろう。
3.系統同定プラットフォームと毒性判定キットの比較および効果的な併用について
プラットフォームとキット、各ツールの特徴について確認した。双方、食用可否の判断のために製作されたものではなく、それぞれに注意点があることも指摘した。これらを併用して用いることが実際的である。
野外探索実践においては、まず、プラットフォームを用い、実践地区のケノコ分布地図を作成していくのがよいであろう。複数チームが同じ地域を複数回にわたって探索し、地図はその都度作成するのだ。これにより分布図の精度はあがり、場合によって、時間の推移による分布の変化を調べあげることも可能となる。
探索時には、都度、キットによる毒性判断を行う。プラットフォームの照合結果が同種であっても、場所によって毒性が変わる可能性があるためだ。特に、プラットフォームデータでは毒性が低いとされる種から高い毒性が検出された場合は、その場所固有の原因があると考えられ、また逆の場合は、どこかに弱毒化の原因があると考えられる。
ケノコを発見し次第、観測し、データ照合を行い、その上で複数台のキットで判定、清拭のち地図への書き込みを行う。これでワンセットであるから、探索実践にかかる手間と時間は少なくない。
以上の実践が複数回繰り返されることで、種の分布と毒性の程度が書き込まれた地図ができあがる。食用可否をポイントにして探査を続ける以上、実食することも同時に行われ続けるべきである。実食のために切断されたケノコの再生の様子や、再生を促進もしくは阻害する要因についても、さまざまな臨床研究がのぞまれる。
4.今後の野外探索実践および「毒抜き」について
野外探索実践に臨む者はそれぞれ、前もって充分に生態学的知識を学ばなければならない。こと生物については、一般化された生態学的な知識と具体個別的な実個体の様相との間にかなりの乖離がみられる場合も珍しくないから、野外探索実践自体をひとつの教育的な機会として機能させることも必要である。また、実環境内での観察の経験は、ケノコのみならず、地域特有の環境因についての知見を深める機会ともなる。このため、プラットフォームの照合を利用する際は、それをひとつの学習機会として、各人が、自ら能動的に学び取る必要があるし、うまくいかなかった場合こそをおおきな学習の機会として探求してもらいたい。
一部をもぎとり、家庭内で育ててみることは可能である。もちろん、いかにして可能であるのかを判断するための見識があってはじめて、われわれは栽培養殖の道に進むことができる。実環境での探索実践の進捗さえよければ、なるべく早急に試験的な栽培養殖にとりかかり、相補的な研究をはじめるべきである。
毒性判定キットが判定を下すものは、あくまで一個体に対してのものであるから、われわれの探求がある段階に到達する前まで、食用として試験されるものすべてをキット判定しなければならない。これが第二項で記述を予告したことである。手間はかかるが、綿密で徹底した確認作業によって、利用者の安全のみならず、精度の高い研究データが得られる。
ケノコの毒にはいくつかの要因があるらしく、要因によっては成分を薄めることが可能である。その方法として、まずケノコをミンチ状にすりつぶし、多量の水に長時間晒す。数度水を入れ替えたのち、低濃度の消石灰溶液につけ、洗ってから加熱するのである。断定的な表現はできないが、現段階の研究では、この工程により、ケノコが積極的に吸った養分由来の毒についてはおおむね「毒抜き」できるのだという。
探索実践や飼育試験を通じて、食用が見込まれるものについて、キット判定を怠らず、かつ弱毒化の試みも絶やさない。これは、あらゆる面で高コストであるが、この初期投資によって、必ずやわれわれの栄養補給にとり目覚ましい成果があがるであろう。
5.おわりに
安定的な光エネルギーの供給があったころには、地中における養分の対流がなく、またそもそも養分の種類が限定されていた。土から生えているものの多くは末端が薄く緑色で、体全体が繊維質であったという。毒性のあるものもあったが、食用可否の決定は毒の有無によるものではなかった。そのかわりになにが判断基準となっていたのかはわからないが、いずれにせよ、食用にされていたあまねく生物らは、長年をかけ畜化されてきたものであったのは疑いようがなく、この畜化の過程において、より食べやすいように改良されていくこともあったのだろう。
定住生活のはじまりは貝食だったとされる。野生種が群生している区域が「畑」とされ、そののちに、似たような状況を整え、そこに食料となる生物を住まわせ、これがあらたな「畑」となった。対して、現時点でのわれわれは、栄養補給について、上層からの滲出物に頼っているばかりである。採集物についても、結局はその栄養補給源を同じにしている。上層のありようが変われば、それだけでまったく飢えてしまう可能性が、これは脅しや大げさではなく、現実的な危惧として、おおいにありえるのだ。であるからして、下層より生え出てくるものを調べ上げ、コントロールすることで、栄養補給の手口を増やすことができたならば、われわれの生命は祝福をうける。ケノコ食によって、視力や脚力が発達するという研究もある。となれば、さらなる食料探索の可能性も拓けるのではないか。いずれにせよ、食事情の改善、安定化はあらゆる面にとって好ましいのは明白にすぎることであるから、短期的な成果を欲望する焦りに足をとられることに常に注意を払いつつも、効果的な探索実践が継続的に行われていくことにおおきな期待をかけたいと思う。すべては諸君にかかっている。