🏢ふるさとだった団地は広大な更地になりました🏜️
私のふるさとだった場所は、埼玉県草加市の「松原団地」です。
いま、団地は老朽化のために解体され、広大な更地となり、その跡地には新しい住居ビルが建設されているところです。
松原団地は、1962年に入居が開始され、当時は「東洋一のマンモス団地」と呼ばれるほどでした。324棟もの建物に、6000戸もの住居空間を備え、駅に近い区域からA地区、B地区、C地区、D地区と街区が分けられ、それぞれの街区に商店街や公園、学校が設けられていました。
松原団地の歴史と現状について、詳しく知りたい方は「東洋経済オンライン」の鳴海 侑さんの記事をご覧下さい👇
正確に言うと、私の実家は「松原団地の敷地と隣接したマンション」なので、団地の中ではありませんでしたが、小学校の学区が団地の子どもたちと同じだったので、生活圏はほとんど団地内で、私の子供時代はほぼ「団地っ子」だったと思います。
私の友達は主にC団地とD団地に住んでいたので、放課後はよく、団地の中の公園や友達の家へ遊びに行きました。
団地の建物は、4階建ての横に長い、いわゆる「団地」らしい建物もあれば、同じ4階建てでも立方体の背がそのまま高くなったような、「ビル」っぽい建物もありました。
それ以外に、「メゾネット」と呼ばれるような、庭付き、二階建ての建物もあり、友達の家もそれぞれに、間取りが違って楽しかったのを覚えています。
庭付きでない住居でも、建物の周りにはさまざまな木が植えられていました。
今どきの集合住宅では考えられないような、大きなケヤキが、まるで門のように団地の入口にそびえていたり、
街区をつなぐ歩行者専用の通り沿いに、桜やツツジ、アジサイ、ドングリ、ポプラ、スギ、ヒノキ、クスノキ…などなど。
どのように植生を計画したのかは分かりませんし、住民が植えたものも多かったと思いますが、まるで雑木林の中を歩いているかのように、木々が緑の屋根をつくっていました。
おかげで、季節ごとに違う花や生き物が見られ、自然には親しみやすい環境だったと思います。
特に、C地区からB地区へ抜ける通り沿いに植えられていた八重桜の木々は見事でした。子どもでも届きそうな高さに、たっぷりした色の濃い花をつけてくれた八重桜の木々たちを、私はずっと忘れないと思います。
ただ、いま思うと、住んでいる大人にとっては、落ち葉が多かったり木の枝で日陰になってしまったり、何かと不便さはあったのかもしれません。
野良猫もとっても多かった。可愛かったし、エサをあげていた人もいたけれど、困っていた住民もいたのでは。
公園にも木々が多く、「大公園」と呼ばれていた駅前の公園は、鬱蒼とした木々に囲まれて昼間でも怖いほどでした。
そのためか、私が中学生のときに今の公園に改修されてしまいました。
当時の私は、緑に恵まれていた公園が失われるのがとても悔しくて、悲しくて、大泣きしたのを思い出します。
新しくなった公園に、古い公園の大木が何本か移植されたものの、前の公園にあった木々はほとんど破棄されてしまいました。
団地内は、他にもあちこちに大小さまざまな公園があり、多彩な遊具が置いてあり、どこでもアスレチックのように遊ぶことができました。子どもの体力づくりにはとても良い環境だったと思います。
改修後の公園は、簡単な滑り台や遊具が置いてある程度で、あそこまで凝ったアスレチックが何台も置いてあったのは、当時のバブル景気のおかげもあったのだろうと、大人になった今なら思います。
緑が多かったためか、住宅街のわりに生き物も豊かでした。
大きな蝶や羽の美しい鳥がいたのを今でも思い出します。
ただ、水害にはとても弱く、多めの雨が降ると、辺り一面が水上都市のようになってしまうことがしょっちゅうありました。
私が覚えているだけでも3回ほど、マンション前の道路が池のようになっていたり、ボートが出ていたのを思い出します。
その対策として、駅前公園の地下にものすごい深さの空間がつくられたと聞きます。それ以来、水害はなくなったので、木々が失われたのは悲しい限りですが、人は住みやすくなりました。
団地には、街区ごとに商店街がありました。
中央に広場があり、その広場を囲むように商店が並び、八百屋や魚屋、肉屋、駄菓子屋、文房具店、床屋やクリニックなどが軒を並べ、
文房具店や駄菓子屋のおじちゃん、おばちゃんたちは、街区の子供たちの名前と顔をよく覚えてくれていて、たまにおまけを付けてくれたり、新商品が入ると教えてくれたりしました。
まるで、下町のような人間関係がそこにはありました。
日曜日になると、団地の大通りは歩行者天国になり、両側に縁日のように店が並び、子供たちは家族と共に買い物に行きました。
近くにデパートもありましたが、友達に会えるのが楽しくて、縁日感覚で遊びに行っていました。
そんな団地は今、更地になり、少しずつ新しい建物に建て替えられています。
階段で上るしかなかった建物は、階数は多くなったもののエレベーターが設置され、木々は取り払われたものの陽当たりと風通しは良くなりました。
大きな池のある広々とした公園ができ、その隣にはショッピングタウンが開かれ、食品や雑貨を買ったり、クリニックで医療サービスを利用したりできるようなりました。
人間にとって、とても便利で快適に創られた街。
でも、その街へ帰るたび、見事な八重桜の並木道や、立派な藤棚、長い道路沿いを彩るツツジ、季節ごとの花ばなを思い出します。
そして、そこに暮らしていた人々を。
自然を愛で、下町のような人情にあふれ、近所の繋がりを持っていた人々のことを。
戦争が起きたわけでも、天災が起きたわけでもなく、ただ、古くなった街を新しくするために建物は壊され、木々は引き抜かれ、全ては更地になりました。
新しくなるのは悪いことではない。
私のふるさとは、全く新しい街に生まれ変わりました。
ただ、自然と人、「いのち」と「いのち」が近かった昔の街を、豊かだと感じ、懐かしむ私も、大切にしたい💓
昔の「マンモス団地」の姿を、少しでも感じていただけたなら嬉しいです
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