災難と偶然は小籠包に包まれていた
母から連絡あり
祖母①(87才) が転倒し、顔と膝を打ちつけてしまったという。目の周りが青く腫れ、歩くのも困難で病院に行く騒ぎになったそうだ
祖母②(おそらく70代後半)は、
唯一の相棒であるテレビが壊れ、自分で直すことを試みるも失敗。結局電気屋さんを手配する
一人で二人の祖母の面倒を見た母の苦労を労いたいが、遠く離れている身ゆえ、「それはおつかれさまだったね」としか言えないのが歯痒い
何か気分が軽くなればと思い
私のたわいもない災難話を送った
が、返事ははさすが私の母と言いますか…
私「今朝起きたら、無性に、もう人生で初めてくらいの勢いで『小籠包食べたい』欲が爆発してさ。配達してもらったのね。
で、30年も人生やってたらこいつらの危険性は十分わかってはいるんだけどさ、『配達で時間経ってるからいけるっしょ』って謎の自信が生まれて、かぶりついて無事上あご持ってかれたわ」
母「え、まって」
私「どしたの」
母「すごい偶然だなって。ママも今日朝から無性に小籠包食べたくなって、何年かぶりに夕飯小籠包にした。
それで、もう60年近く生きてるけど、蒸してから食べるまでちょっと時間があったから、油断してかぶりついて上あご持ってかれた😆」
私「なんか、いろいろ怖い」
母「小籠包っておいしいよね おやすみ😴」
小籠包の悪魔の引力は確かにあると思う
たっぷり入った肉汁を逃したくないのは誰もが同じだ
でも、人間は学習する生物だ
私たち親子はそれができない
きっと遺伝子的にできない
上あごの痛みだけでなく、その変え用のない事実が突きつけられるという災難だった
繰り返すが、
決して小籠包に罪はない