義務教育の年限延長(4年から6年へ)
1880年年代には低迷していた就学率も、1890年代に入ると順調に拡大してきます。以下に就学率の推移をまとめてみます(『日本近代教育史辞典』より)
日本の就学率の推移
1875年 35.43%
1880年 41.06%
1885年 49.62%
1890年 48.93%
1895年 61.24%
1900年 81.48%
1905年 95.62%
このように1900年には8割を超え、1905年には95%を超える就学率を記録しています。学制が1872年なので、明治政府が掲げた国民皆学は苦節33年を経て概ね達成されたことになります。
現代を生きる我々からすれば、学齢期になったほとんどの児童が小学校に通うということは「当たり前」になっていますが、その「当たり前」を実現するために、明治政府は、「学校がない状態」から「30年以上」をかけて達成したというのは興味深い事実です。
1900年には、4年間の尋常小学校の代替措置であった「小学簡易科(3年)」が廃止され、義務教育は尋常小学校の4年間に統一され、さらに、尋常小学校では授業料を徴収しないことも明記されます。これらをキッカケに就学率は急上昇を果たすことになるのです。この辺りまでに、日本の成人の「非識字率」もほぼ解消されたと見なされています。
日清戦争(1894〜95年)・日露戦争(1904〜05年)を経て、欧米列強の仲間入りを果たした明治政府は1907年(明治40年)に「小学校令」を改正します。国家の近代化を目指し、国民の能力向上を図りたい文部省はかねてから義務教育の修業年数の延長化を求めていたものの、学制当時から続く財政上の問題から、構想はあっても実現できないという状態でした。しかし、日露戦争後のこの改正によって、義務教育である尋常小学校の修業年限は4年から6年に延長され、その上の高等小学校の修業年限は2〜3年とされました。
こうして、明治の終わり頃には、日本の近代的な学校システムはほぼ完成することになります。
参考文献
『日本の教育経験』 JICA 2003
『教育の理念・歴史』 田中智志・橋本美保監修編著 一藝社 2013
『教育学の基礎と展開』 相澤伸幸著 ナカニシヤ出版 2007