教育新聞連載〜自己紹介編〜
この度、教育新聞という名誉ある場で連載コラムを担当させてもらうことになりました「めがね旦那」です。今回は第一回ということで自己紹介をします。
この新聞を読まれている皆さんはTwitterをご存知でしょうか。Twitterでは全国の教育に関心のある方々が毎日様々な教育に関する投稿をされています。僕は三児の父なのですが、三人目が生まれたときに夫婦で育休を一年間取得しました。現場から一年間離れることもあり、教育への関心が薄れてしまわないかと不安になったので、Twitterで教育の情報を得ようと始めたことがキッカケでした。
もともと教育のことを考えるのは好きでした。僕は「日本で一番自由な学校」と呼ばれている「きのくに子どもの村学園」の卒業生です。今ではオルタナティブスクールという言葉も存在しますが、僕が通っていた当時は「学校に不適応を起こした子どもが通う施設」という誤解もありました。きのくにでの教育については様々なメディアで取り上げらているのでここでは割愛しますが、僕の「学校の当たり前」にとらわれない型破りな教育哲学の数々は、この生い立ちも関係しているはずです。
僕の教育への関心事は多岐にわたりますが、その根底に流れるものはいつも同じです。それは「学校で苦しんでいる子どもを一人でも少なくしたい」です。僕は学校が大好きな子どもでした。大人になっても学校に通うために、学校の先生を職業として選んだくらいです。
しかし、全国には「みんなと同じように学校へ通いたいのに、通うことができない子」が何万人もいます。もちろん、学校へ通うことのみが正解では無いでしょう。教育は地域の公立学校だけのものではありません。しかし、多くの子どもにはそこまで選択肢がありません。多様な選択肢をもつ子どもは極々一部に限られているのが現状です。
学校には様々な「当たり前」が存在します。「授業の始まりにはあいさつをしなければならない」「授業中に水分を取ってはならない」「話すことがあるときは手を挙げる」「悪いことをしたら先生に怒鳴られても仕方ない」・・・。それぞれの教育的意義を探せばきっと見つかるのでしょう。教育とは多義的であり、それが教育の魅力でもあります。しかし、学校の当たり前によって子どもが苦しめられてもいいのでしょうか。子どもには選択肢がありません。学校に通わないということさえ選択できずに、毎日苦悩しながらギリギリの気持ちで学校へ通う子どもだっています。
当たり前だからと思考停止せずに、自身の教育観を少しずつアップデートできるようなコラムにしていきたいと思います。よろしくお願いします。