見出し画像

校内研究活動による指導の画一化

 学校には「研究活動」というのがあります。主に授業実践などを研究してその質を高めていこうという校内での活動です。多くの場合、研究教科(算数科とか社会科など)と研究方針(主体的な学びの促進)が決められ、それを具現化したものである「研究授業」を校内で発表して、その授業内容を検討する討議会が開かれるという形で進められます。この研究授業をする際には「指導案」という書類が書かれることが多いです。これは、授業の意図や進め方などが細かく書かれている書類です。これを作るのは、もちろん授業者本人なのですが、その内容については「指導案検討会」なる会議が開かれて校内の様々な方の意見が聞かれます。

 そして、この指導案検討会では「校内における有力者」の意見が重要になってきます。つまり、授業者本人の意見よりも「ベテラン勢」の意見が重視されることがあるのです。そもそも「みんなで一つの指導案を作る」のですから、そうなることは仕方がありません。ベテランの意見を排してまで、自分の意見を通すということは、学校という狭い共同体で生き続けるための得策ではないのです。すると、指導案検討会を通った指導案はどれも似たり寄ったりになります。そこに違和感を覚える教員でさえ、やはりそれを大きな声で言うことはできないですし、指導案検討会を通っている指導案を元にした授業に対してダメ出しをすることは難しくなります。

 学校という空間にはたくさんの教室がありますが、教師はその中でも「自分の教室の自分の授業」しか知りません。そもそも空き時間というものが少ないですし、その僅かな空き時間も業務に充てないと終わらない業務量ですので、他の教師の授業をゆっくりと参観する機会はほとんどありません。その数少ない授業参観の機会が「校内研究授業」なのです。つまり、教師は「自分の授業」と「校内研究授業」くらいしか「授業を知らない」ということなのです。だからこそ、「校内研究授業」には「多様性」が求められると思うのですが、現実にはそうはなっていません。教師は多様な授業を見て、授業観を鍛える機会を得られないまま、同質性の高い研究授業を見続けて、授業実践を積み重ねていくことになるのです。